「世話好き」1/6(金)
≪まるぞう備忘録≫より転載
感謝とは、
・もうすでに自分が与えられているという気持ち
・そして与えられている以上にお返ししたいと思う気持ち
・相手(或いは名無しの周囲=お陰)への敬愛の気持ち
・充分与えられたので自分が今持っているものは手放し
ても良いという気持ち
これらの心の作用が複合された、とても高度な心の想い
であります。
自分が充分与えられている。と一瞬でも想えることは
素晴らしいです。それは「分離(足りない足りない)」とい
う禁断の果実の呪縛を解く基本であります。
また逆にお返しの気持ちとして自分が持っているもの
を相手にお返ししたい。という想いも素晴らしいです。
陰陽の作用から、自分が与えられたものは、それ以上
周囲にお返し(=還元)することが、幸せで健康で過ご
せる秘訣であります。逆にもっともっとと溜め込こもうと、
失うものばかりの人生になるのは、私達は経験上良く
知ることであります。
またお世話になった直接の人以外にも、陰で自分を
助けてくれた人が絶対いるはず。その方たちの名前も
存在も知らないけれど、その方たちへ、敬愛の気持ち
と御礼の気持ちを持つのは、本当に本当に素晴らしい
ことです。
これもまた陰陽の視点で考察いたしますと、お返しし
たものはお返しされる。でありますから、名も無いお陰
の方々への感謝の気持ちは、今度は自分の見えない
心の内側へのお返しとなる因子になるのではないでし
ょうか。
「お陰さまで」「ご先祖様のお陰で」という言葉が普通
に使われる日本人は、きっと心の内側の神性を、無意
識で感じていた人が多かったことだと思います。
そして何より、感謝の心に込められた、自分が与え
られたものはお返しして手放す想いも本当に素晴らし
いです。「もっともっと」とは執着の心でありますが、人
が「執着の気持ちを手放せること」。これが本当に、自
分の心に仕組まれた分離の罠から自分自身を解く(ほ
どく)大きな鍵であろうと思います。
≪転載終了≫
弊社フロントの佐生君のお父様が二日前に亡くな
られ、お寺さんの都合で、16日のお通夜。17日に本葬
が富津市にある天昇閣でお勤めされます。
この話はあっという間に広まり、当日は私たちの仲間から
12基のお花がご仏前にお供えされることになりました。
それにしても今日の一日を通してつくづく思ったことは、
うちの連中は本当に人によくしたいんだなぁ・・・。人のた
め、仲間のために貢献したいんだなあ・・、ということ。
お花の連絡をしたり、ご香典を全スタッフに呼びかけた
り、何か生き生きしながらやってます。
そして思いました。この人たちはなんだかんだ仕事では
あるけども、本質的な心が充分満たされているのだ、と。
だからこそ、お世話をしたり、与えることにとっても喜びを
感じているのだと。
いいんじゃない。
感謝とは、
・もうすでに自分が与えられているという気持ち
・そして与えられている以上にお返ししたいと思う気持ち
・相手(或いは名無しの周囲=お陰)への敬愛の気持ち
・充分与えられたので自分が今持っているものは手放し
ても良いという気持ち
これらの心の作用が複合された、とても高度な心の想い
であります。
自分が充分与えられている。と一瞬でも想えることは
素晴らしいです。それは「分離(足りない足りない)」とい
う禁断の果実の呪縛を解く基本であります。
また逆にお返しの気持ちとして自分が持っているもの
を相手にお返ししたい。という想いも素晴らしいです。
陰陽の作用から、自分が与えられたものは、それ以上
周囲にお返し(=還元)することが、幸せで健康で過ご
せる秘訣であります。逆にもっともっとと溜め込こもうと、
失うものばかりの人生になるのは、私達は経験上良く
知ることであります。
またお世話になった直接の人以外にも、陰で自分を
助けてくれた人が絶対いるはず。その方たちの名前も
存在も知らないけれど、その方たちへ、敬愛の気持ち
と御礼の気持ちを持つのは、本当に本当に素晴らしい
ことです。
これもまた陰陽の視点で考察いたしますと、お返しし
たものはお返しされる。でありますから、名も無いお陰
の方々への感謝の気持ちは、今度は自分の見えない
心の内側へのお返しとなる因子になるのではないでし
ょうか。
「お陰さまで」「ご先祖様のお陰で」という言葉が普通
に使われる日本人は、きっと心の内側の神性を、無意
識で感じていた人が多かったことだと思います。
そして何より、感謝の心に込められた、自分が与え
られたものはお返しして手放す想いも本当に素晴らし
いです。「もっともっと」とは執着の心でありますが、人
が「執着の気持ちを手放せること」。これが本当に、自
分の心に仕組まれた分離の罠から自分自身を解く(ほ
どく)大きな鍵であろうと思います。
≪転載終了≫
弊社フロントの佐生君のお父様が二日前に亡くな
られ、お寺さんの都合で、16日のお通夜。17日に本葬
が富津市にある天昇閣でお勤めされます。
この話はあっという間に広まり、当日は私たちの仲間から
12基のお花がご仏前にお供えされることになりました。
それにしても今日の一日を通してつくづく思ったことは、
うちの連中は本当に人によくしたいんだなぁ・・・。人のた
め、仲間のために貢献したいんだなあ・・、ということ。
お花の連絡をしたり、ご香典を全スタッフに呼びかけた
り、何か生き生きしながらやってます。
そして思いました。この人たちはなんだかんだ仕事では
あるけども、本質的な心が充分満たされているのだ、と。
だからこそ、お世話をしたり、与えることにとっても喜びを
感じているのだと。
いいんじゃない。
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