「立派なアホ」1/7(土)
明日の夜(お逮夜)から、
私が住職を務める広島の長松寺では
親鸞聖人のご遺徳を偲びご恩を報謝する
「御正忌報恩講」をお勤めいたします。
日祭日のないデパートや各ショップがあり
ますので、明日頑張って仕事して、明後日
の朝一で広島に帰ります。
親鸞聖人というと、
人間の持つ悲しさ、愚かさ、どうしようも
ない性。恥ずかしさ、を正面から見詰め続
けた究極の下から目線の人でした。
そして、明るく前向きに「それも仕方ない」
という、受け入れて昇華する道を極めた
人でした。
それができるのも、阿弥陀様と自分との、
同行二人だからなんだ、と。
スマップに直筆メッセージを送ったタモリ
さんの言葉に、
「人間に当てはめると一月て自分がいか
に下らない人間かって思い知ることで、
す〜と楽になれるんじゃないかな」
「人見知りをしない奴は嫌いだ」
≪悩まない奴は嫌いだ。コンプレックスを
持たない奴は嫌いだ。デリカシー(心配り・
配慮)がない奴は嫌いだ≫
というものがあるそうです。
これって、
まさに親鸞聖人の教えみたいです。
人間って、上から目線で物事を見るとプラ
イドが邪魔してすべてが苦しくなっておか
しくなっていきます。
ただ、下から目線ですべてを見ることで、
すべてを受け入れ許されていきます。
タモリさんもそんなところがあるんでしょう
ね。心からの優しさを感じます。とても苦労
されてこられたからこその優しさがあります。
だからこの方は常に下から目線で人を見
られている。こういう人は愛が深いです。
私は、昔から、どうして浄土真宗のお寺の
子として生まれたのだろう?って考えてました。
性格的には真言とか禅宗の方がピシっとし
ていて、武道的で・・・と思っていましたが、
この歳になってつくづく感じるのは、結局
私のような傲慢な「究極の上から目線」の
人間は、本当の「究極の下から目線へ」大
転換しなさいね、これですね。だから親鸞聖人
なんだ・・。これってものすごく納得できる。
自分の傲慢さを認め受け入れ、
もっと大らかで自分の力を過信しない
立派なアホになるために。
私が住職を務める広島の長松寺では
親鸞聖人のご遺徳を偲びご恩を報謝する
「御正忌報恩講」をお勤めいたします。
日祭日のないデパートや各ショップがあり
ますので、明日頑張って仕事して、明後日
の朝一で広島に帰ります。
親鸞聖人というと、
人間の持つ悲しさ、愚かさ、どうしようも
ない性。恥ずかしさ、を正面から見詰め続
けた究極の下から目線の人でした。
そして、明るく前向きに「それも仕方ない」
という、受け入れて昇華する道を極めた
人でした。
それができるのも、阿弥陀様と自分との、
同行二人だからなんだ、と。
スマップに直筆メッセージを送ったタモリ
さんの言葉に、
「人間に当てはめると一月て自分がいか
に下らない人間かって思い知ることで、
す〜と楽になれるんじゃないかな」
「人見知りをしない奴は嫌いだ」
≪悩まない奴は嫌いだ。コンプレックスを
持たない奴は嫌いだ。デリカシー(心配り・
配慮)がない奴は嫌いだ≫
というものがあるそうです。
これって、
まさに親鸞聖人の教えみたいです。
人間って、上から目線で物事を見るとプラ
イドが邪魔してすべてが苦しくなっておか
しくなっていきます。
ただ、下から目線ですべてを見ることで、
すべてを受け入れ許されていきます。
タモリさんもそんなところがあるんでしょう
ね。心からの優しさを感じます。とても苦労
されてこられたからこその優しさがあります。
だからこの方は常に下から目線で人を見
られている。こういう人は愛が深いです。
私は、昔から、どうして浄土真宗のお寺の
子として生まれたのだろう?って考えてました。
性格的には真言とか禅宗の方がピシっとし
ていて、武道的で・・・と思っていましたが、
この歳になってつくづく感じるのは、結局
私のような傲慢な「究極の上から目線」の
人間は、本当の「究極の下から目線へ」大
転換しなさいね、これですね。だから親鸞聖人
なんだ・・。これってものすごく納得できる。
自分の傲慢さを認め受け入れ、
もっと大らかで自分の力を過信しない
立派なアホになるために。
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