「やり甲斐」10/30(月)
日曜日の今日は
朝六時から木更津工場の保管庫に行って
出荷依頼のあった品物を整理しながら
ふっと、ちょっと前からスタッフたちの姿を
見ながら気になっていた
「やり甲斐」「生き甲斐」について
考えていました。
≪まるぞう備忘録≫より転載
「やり甲斐」とは一般的には、
周囲からの評価であると考えられます。
それは
上司やお客さんから褒められたり、
給料や評点が上がったり、家族や周囲の人から
「立派な仕事をしてるのね」と認めて
もらうことであります。
しかしそのように
「外部からの評価」を「やり甲斐」の基準にする限り、
いずれは「むなしさ」に行き着くと思います。
私の経験上「他人からの評価」を「やり甲斐」にすると、
必ず裏切られることとなります。
だからきっと
そういう人は「やり甲斐」に対して、
根本的な間違いがあるのだと思います。
仕事の「やり甲斐」とは
おそらく外部からの評価ではなく、
自分自身の内側に対する「ストイックさ」に
深く関係するのではないでしょうか。
たとえば
「自分に課した道(たとえば段取リスト)に、
ストイックかどうか」これはもう他人が
評価できることではありません。
自分自身の内面の
生き方の勝負であります。
他者からの評価を
「やり甲斐」の基準にしていると、
それはいつか自分を
裏切ることになるでしょう。
しかし
「自分の内面に
ウソをつかないストイックさ」は、
結果的に自分を守ることになります。
長い人生の視点では。
「ストイックさ」とは、
人が見ていないから手を抜いてもいい、
バレないから誤魔化してもいい。
そういう価値観とは全く異なる、
自分自身との勝負の道であります。
≪転載終了≫
そうなんです。
「外部からの評価」を
「やり甲斐」の基準にする限り、
いずれは「むなしさ」に行き着くのです。
ただ、
人間は段階があって、
むやみやたらに外部からの評価を求めて
また、外部から認められることを喜んで
それを「やり甲斐」「生き甲斐」と勘違いしていきます。
怠惰な自我と
良心の自己との戦いの勝利の先にあるもの。
それが本当の「やり甲斐」「生き甲斐」だと思うのです。
日曜日の早朝、
眠たい眼をこすりながらも、
ストイックに自分の自我との勝負をしていく。
そこには真実があります。
真実を生きている内面的な喜びがあります。
木更津工場の帰り
スタバに寄ってコーヒーとキッシュを他べながら、
「やっぱりこういう生き方が一番気持ちええなあ・・」。
自分の弱さという自我に流されて
一時的な楽しさを味あうより
しんどいけど良心に沿った生き方を選択した後の
コーヒーがやっぱり美味しい。
そして、今日も仕事に励むのでした。
朝六時から木更津工場の保管庫に行って
出荷依頼のあった品物を整理しながら
ふっと、ちょっと前からスタッフたちの姿を
見ながら気になっていた
「やり甲斐」「生き甲斐」について
考えていました。
≪まるぞう備忘録≫より転載
「やり甲斐」とは一般的には、
周囲からの評価であると考えられます。
それは
上司やお客さんから褒められたり、
給料や評点が上がったり、家族や周囲の人から
「立派な仕事をしてるのね」と認めて
もらうことであります。
しかしそのように
「外部からの評価」を「やり甲斐」の基準にする限り、
いずれは「むなしさ」に行き着くと思います。
私の経験上「他人からの評価」を「やり甲斐」にすると、
必ず裏切られることとなります。
だからきっと
そういう人は「やり甲斐」に対して、
根本的な間違いがあるのだと思います。
仕事の「やり甲斐」とは
おそらく外部からの評価ではなく、
自分自身の内側に対する「ストイックさ」に
深く関係するのではないでしょうか。
たとえば
「自分に課した道(たとえば段取リスト)に、
ストイックかどうか」これはもう他人が
評価できることではありません。
自分自身の内面の
生き方の勝負であります。
他者からの評価を
「やり甲斐」の基準にしていると、
それはいつか自分を
裏切ることになるでしょう。
しかし
「自分の内面に
ウソをつかないストイックさ」は、
結果的に自分を守ることになります。
長い人生の視点では。
「ストイックさ」とは、
人が見ていないから手を抜いてもいい、
バレないから誤魔化してもいい。
そういう価値観とは全く異なる、
自分自身との勝負の道であります。
≪転載終了≫
そうなんです。
「外部からの評価」を
「やり甲斐」の基準にする限り、
いずれは「むなしさ」に行き着くのです。
ただ、
人間は段階があって、
むやみやたらに外部からの評価を求めて
また、外部から認められることを喜んで
それを「やり甲斐」「生き甲斐」と勘違いしていきます。
怠惰な自我と
良心の自己との戦いの勝利の先にあるもの。
それが本当の「やり甲斐」「生き甲斐」だと思うのです。
日曜日の早朝、
眠たい眼をこすりながらも、
ストイックに自分の自我との勝負をしていく。
そこには真実があります。
真実を生きている内面的な喜びがあります。
木更津工場の帰り
スタバに寄ってコーヒーとキッシュを他べながら、
「やっぱりこういう生き方が一番気持ちええなあ・・」。
自分の弱さという自我に流されて
一時的な楽しさを味あうより
しんどいけど良心に沿った生き方を選択した後の
コーヒーがやっぱり美味しい。
そして、今日も仕事に励むのでした。
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