「日本橋三越本店の重み」4/15(日)
4月14日(土)三越日本橋本店の「歴史探求ツアー」に
行ってまいりました。
と、言いますのも、三越日本橋本店本館の二階メンズフロアーに
弊社の「ウォータークリーニング」の店舗があります。
お蔭さまで、11年前に三越日本橋本店の本店長から直々に
「ウォータークリーニングの店舗を開設して欲しい」という強い
お誘いがあり、考えた末に思い切って東京進出をすることを決定
いたしました。
それからというもの、開設後にご利用いただいたお客様の口コミ力
によって、今では数多くのリピーターや新規のお客様にご利用いた
だいております。
歴史探求ツアー当日も、本館二階にありますウォータークリーニング
店舗をのぞいてみましたが、たくさんのお客様にお越し頂いておりま
した。
それで、10年の節目ということもあって、
あらためて重要文化財の指定――を受けている三越日本橋本店
の歴史と文化に触れるため、「歴史探求ツアー」に参加させて
もらいました。
昔の日本橋三越本店
現在の三越日本橋本店。
さて、商号の「三越」は、
三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったもので、
1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ
改称した際からのものです。
1935年に竣工した日本橋本店は、
国の重要文化財に指定されています。
[1][2]。現在の同店のキャッチフレーズは、
「飾る日も 飾らない日も 三越と」は有名ですね。
1914年に三越日本橋本店(本館)が完成してから
102年経った今でも、変わらない姿で、お客に買い物を楽しんで
もらっている全国のデパートの中のでも別格中の別格の
デパートです。
今回の歴史探求ツアーで再度そのことを再認識いたしました。
実は私は幼少のころにはよく母に三越に連れて行ってもらって
いました。
その時の格好は革靴に靴下は長め。サースベンダーの半ズボンに
千鳥格子のジャケット。下は白いシャツにエンジの蝶ネクタイ。
いかにもお坊ちゃんの格好で店内を我が物顔で歩いてました。
母も私も海外のフェアーが大好き。デンマークフェアー。イタリアフェアー。
スコットランドフェアーに、フランスフェアー。
とにかく各国のフェアーに行ってはガラス細工や食器や工芸品を
買って帰るのが大好き。また国々の郷土料理も。
そして必ず食堂でお子様ランチとクリームソーダを注文して
ましたっけ。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、だから
昔からデパート大好きなのです。
<マーキュリー像>
マーキュリー(ギリシャ神話のヘルメス 、フランス語ではエルメスと
同一神とされている)は、ローマ神話で商売・富などをつかさどる神。
マーキュリー像は、1923年に設置されたが、一代目は関東大震災で、
二代目は戦時中にライオン像同様金属供出により失われ、現在の
三代目の像は1972年に復元されましたものです。
二匹の蛇が巻き付いた杖を持ち、頭部と足首に翼を付けています。
<ライオン像>
このライオン像が誕生したのは大正3年(1914)、三越デパート本店が
ルネッサンス式鉄筋5階建ての新店舗を建設したときに、ロンドンの
トラファルガー広場のライオン像をモデルに、外国人の彫刻家と鋳造師
を起用して製作されました。
西洋建築に銅像の組合せは、当時の常道で、支配人の日比さんが大変
なライオン好きだったのと、三越が「百獣の王ライオン」のようにデパート
業界に君臨するようにとの念願を込めて設置しました。
チャールズ皇太子ご夫婦がこの「ライオン像」をなでながら、「やっと会え
たね」と声をかけたそうです。
<三越前駅地下通路の柱>
三越前駅。元々は新橋への延伸を目指しながらも資金難に陥っていた
東京地下鉄道に対し、目の前の中央通りに本店を構える三越が駅の
建設資金を「全額負担」して開業させた駅です。
まさに「三越が駅を造った」のです。その際、店舗への直通出入口の
設置や駅構内の意匠についてなど、三越側の提示した駅建設資金負担
の条件を東京地下鉄道は受け入れました。
この経緯から、銀座線ホームの壁面には三越の「三」をモチーフにした
赤い3本線が引かれ、輸入タイル・大理石貼りや真鍮製手摺り、日本初
の駅構内エスカレーターの設置、それに当駅独自の駅名標など、三越
の意向を隅々まで反映して他の駅にない異例に豪華な意匠の内装が
施され、開業当初は地下鉄というものの目新しさもあり、まさに時代の
最先端をゆく三越の地下エントランスとでもいうべき趣となりました。
この10本の柱も三越の広告がはられる場所としてだけではなく、豪華
な装飾のされた、当時の三越の財力と思いを感じることのできる場所です。
<三越のマーク>
三越のマークの越のハネは下から七・五・三と縁起もの。
<三越呉服店>
発祥は延宝元年(1673年)、伊勢松坂の商人三井高利(1622 - 1694)が、
日本橋に開いた呉服店越後屋。大衆相手の店たな前さき売りの商法で
繁盛し、江戸時代最大の呉服商といわれた。明治37年(1904年)、株式
会社三越呉服店となりました。
包装紙
戦前、百貨店の包装紙といえば地味なハトロン紙が主流。三越でも、
新築予定の新館を描いたり、干支をデザインしたりと、その時々の話題を
取り入れた包装紙を作ってはいましたが、いわゆる定番の包装紙は用意
していませんでした。
クリスマス用に「百貨店のシンボルとなるようなオリジナルの包装紙を作ろう」
という話が持ち上がったのは、戦後間もない1950年。
「戦後の暗い世相に光を」との考えによる、日本で初めての試みでした。
包装紙のデザインを手がけたのは、猪熊弦一郎画伯。「華ひらく」と名づけ
られたデザインは、画伯が千葉の犬吠埼を散策中、海岸で波に洗われる
石を見て、「波にも負けずに頑固で強く」をテーマにしようと考えたことから
生まれました。包装紙のデザインを画伯に依頼し、出来上がった作品を受
け取りにいったのは、当時三越宣伝部の社員だった漫画家、やなせたかし
さん。抽象的なデザインの赤い切り抜きが白い紙にテープで仮止めされた
だけのデザイン画には、やなせさんも驚いたものの、商品を包んでみると
それこそ花が開いたようにぱっと明るくなるのを見て「さすが猪熊画伯」と
感心したそうです。
ショッピングバッグ
「デパートメントストア宣言」から110年を迎えた2014年。「あらためて未来へ
と向かう」という考えのもと、「伝統と革新の先で実る自由のシンボル」として
ショッピングバッグをリニューアル。新しいショッピングバッグ「実り」は、友
禅作家の森口氏が日本伝統工芸展60回展に出品した友禅訪問着の柄を
ベースにしており、バッグに適するデザインに立体的に再設計。たわわに
実るリンゴを表現した幾何学文様の黒い文様を少しずつ細くすることで、
4面それぞれが違がった印象を持つように仕上げました。1950年に洋画家
の猪熊弦一郎氏が考案した包装紙「華ひらく」と共に展開し、「花が咲いて
実る」ことをイメージしたそうです。しかし、2~3年は三越ファンから不評で、
クレームが殺到したそうです。今では落ち着いて三越の顔の一つになりま
した。
<パイプオルガン>
昭和5年(1930)、世界的に定評のある米国マイテー・ウェルリッツァー社製
の最新式パイプオルガンを購入。電力によって奏する大仕掛けなもので、
メインとソロの2種からなり、全体の間口は8.2m。
当初は7階ギャラリーに設置されていましたが、昭和10年(1935)の本館全館
完成時に、現在の中央ホール2階バルコニーに移されました。
当時その演奏は、JOAKの電波に乗って全国の音楽ファンに発信されていました。
現在でも、毎週金曜・土曜・日曜の各日午前10時30分、正午、午後3時の1日3回、
オルガン奏者による生演奏が行われ、店内にその美しい音色が響きわたってい
ます。
平成21年(2009)1月14日に、中央区民有形文化財として登録されました。
<中央ホール>
中央ホールは、5層吹抜の大空間で、
天井はステンドグラスをヴォールト状に配したトップライトです。
柱や梁、手摺廻りは大理石張りとし、手摺グリルやガラスなどを
アールデコ風の装飾で飾っています。
当日はパイプオルガンの生演奏中で、
素晴らしい音色が中央ホール一杯に心地よく鳴り響いていました。
空間の重厚感は他のデパートでは絶対に味わえないでしょうね。
<三越劇場>
三越劇場は、
2層吹抜で東にステージを設けた劇場。壁面と天井は大理石、
木彫、石膏整形やステンドグラスなどにより装飾され、
グレーを基調としてさまざまな紋様や幾何学模様をペイント
色彩で着色するなど、重厚で濃密な空間を構成しています。
ここも素晴らしく落ち着いた空間です。
<三圍神社>
文和年間(1352年〜1356年)の頃、近江三井寺の僧源慶が東国を巡錫中、
墨田川牛島のほとりの弘法大師建立になる、荒れはてた小堂に立ち寄った
際、その床下より現れた壷をあけると、その中より忽然と白狐が現れ、壷の
中の宇迦之御魂命の神像のまわりを、三度めぐっていずこともなく消え去
ったので、爾今この社を「みめぐり」(三圍)とよばれるようになったと伝えら
れている。
また元禄六年の旱魃の際俳聖其角は、この社に「夕立や田を三めぐりの
神ならば」と一句献じますと、翌日早速雨が降ったといわれており、爾来何
でも願い事の叶う縁起のよい神として、大正三年九月二十一日、当屋上に
遷座されて以来広く庶民より崇められている。
<特別食堂>
15分控えの間で待って入った特別食堂は、
フランスの室内装飾家ルネ・プルーによるアールデコで飾られていて、
緑色大理石の丸柱や柱頭部の持送り、壁面のグリルなど当時の
潮流を示しているとても落ち着いた空間でした。
周りを見ると品の良い中高年の方々でいっぱい。
リピーターのお客様が多いという感じでした。料理は和食も洋食も
「・・・・・美味しい。また食べに来たい」と思わせるクセの無い食感で、
空間と料理と両方を同時に食べているようなとても贅沢な気分を
味わっていました。
必ずまた行きたくなるような・・・。
とにかくこの日本橋三越本店本館の二階にうちのお店があります。
昨日も多くのお客様がご来店下さっていました。
あらためて、ホテルは帝国ホテル。デパートは日本橋三越本店。
デパートであり、重要文化財であり、美術館であり、博物館であり、
尚且つ、日本の文化の伝導であり、歴史の荘厳さと権威、庶民
の憧れを一心に担ってきたおもてなし精神・・・を感じました。
レトロな食堂と癖の無い美味しさ。
いやあ・・・・、定期的に食べに行きたい落ち着いた場所ですよ。
それとデパ地下で売っているパン。美味しかったですよ。
仕事を兼ねて定期的に行ってみたい。
三越劇場の階にある美術館は週に一度内容が変わるそうです
から、それだけでもいく価値があります。
なにか、久々にワクワクするなあ。
日本橋三越本店に行った帰りは上野の国立博物館や美術館まわり
も楽しみだし・・。さすがお江戸ですね。
行ってまいりました。
と、言いますのも、三越日本橋本店本館の二階メンズフロアーに
弊社の「ウォータークリーニング」の店舗があります。
お蔭さまで、11年前に三越日本橋本店の本店長から直々に
「ウォータークリーニングの店舗を開設して欲しい」という強い
お誘いがあり、考えた末に思い切って東京進出をすることを決定
いたしました。
それからというもの、開設後にご利用いただいたお客様の口コミ力
によって、今では数多くのリピーターや新規のお客様にご利用いた
だいております。
歴史探求ツアー当日も、本館二階にありますウォータークリーニング
店舗をのぞいてみましたが、たくさんのお客様にお越し頂いておりま
した。
それで、10年の節目ということもあって、
あらためて重要文化財の指定――を受けている三越日本橋本店
の歴史と文化に触れるため、「歴史探求ツアー」に参加させて
もらいました。
昔の日本橋三越本店
現在の三越日本橋本店。
さて、商号の「三越」は、
三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったもので、
1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ
改称した際からのものです。
1935年に竣工した日本橋本店は、
国の重要文化財に指定されています。
[1][2]。現在の同店のキャッチフレーズは、
「飾る日も 飾らない日も 三越と」は有名ですね。
1914年に三越日本橋本店(本館)が完成してから
102年経った今でも、変わらない姿で、お客に買い物を楽しんで
もらっている全国のデパートの中のでも別格中の別格の
デパートです。
今回の歴史探求ツアーで再度そのことを再認識いたしました。
実は私は幼少のころにはよく母に三越に連れて行ってもらって
いました。
その時の格好は革靴に靴下は長め。サースベンダーの半ズボンに
千鳥格子のジャケット。下は白いシャツにエンジの蝶ネクタイ。
いかにもお坊ちゃんの格好で店内を我が物顔で歩いてました。
母も私も海外のフェアーが大好き。デンマークフェアー。イタリアフェアー。
スコットランドフェアーに、フランスフェアー。
とにかく各国のフェアーに行ってはガラス細工や食器や工芸品を
買って帰るのが大好き。また国々の郷土料理も。
そして必ず食堂でお子様ランチとクリームソーダを注文して
ましたっけ。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、だから
昔からデパート大好きなのです。
<マーキュリー像>
マーキュリー(ギリシャ神話のヘルメス 、フランス語ではエルメスと
同一神とされている)は、ローマ神話で商売・富などをつかさどる神。
マーキュリー像は、1923年に設置されたが、一代目は関東大震災で、
二代目は戦時中にライオン像同様金属供出により失われ、現在の
三代目の像は1972年に復元されましたものです。
二匹の蛇が巻き付いた杖を持ち、頭部と足首に翼を付けています。
<ライオン像>
このライオン像が誕生したのは大正3年(1914)、三越デパート本店が
ルネッサンス式鉄筋5階建ての新店舗を建設したときに、ロンドンの
トラファルガー広場のライオン像をモデルに、外国人の彫刻家と鋳造師
を起用して製作されました。
西洋建築に銅像の組合せは、当時の常道で、支配人の日比さんが大変
なライオン好きだったのと、三越が「百獣の王ライオン」のようにデパート
業界に君臨するようにとの念願を込めて設置しました。
チャールズ皇太子ご夫婦がこの「ライオン像」をなでながら、「やっと会え
たね」と声をかけたそうです。
<三越前駅地下通路の柱>
三越前駅。元々は新橋への延伸を目指しながらも資金難に陥っていた
東京地下鉄道に対し、目の前の中央通りに本店を構える三越が駅の
建設資金を「全額負担」して開業させた駅です。
まさに「三越が駅を造った」のです。その際、店舗への直通出入口の
設置や駅構内の意匠についてなど、三越側の提示した駅建設資金負担
の条件を東京地下鉄道は受け入れました。
この経緯から、銀座線ホームの壁面には三越の「三」をモチーフにした
赤い3本線が引かれ、輸入タイル・大理石貼りや真鍮製手摺り、日本初
の駅構内エスカレーターの設置、それに当駅独自の駅名標など、三越
の意向を隅々まで反映して他の駅にない異例に豪華な意匠の内装が
施され、開業当初は地下鉄というものの目新しさもあり、まさに時代の
最先端をゆく三越の地下エントランスとでもいうべき趣となりました。
この10本の柱も三越の広告がはられる場所としてだけではなく、豪華
な装飾のされた、当時の三越の財力と思いを感じることのできる場所です。
<三越のマーク>
三越のマークの越のハネは下から七・五・三と縁起もの。
<三越呉服店>
発祥は延宝元年(1673年)、伊勢松坂の商人三井高利(1622 - 1694)が、
日本橋に開いた呉服店越後屋。大衆相手の店たな前さき売りの商法で
繁盛し、江戸時代最大の呉服商といわれた。明治37年(1904年)、株式
会社三越呉服店となりました。
包装紙
戦前、百貨店の包装紙といえば地味なハトロン紙が主流。三越でも、
新築予定の新館を描いたり、干支をデザインしたりと、その時々の話題を
取り入れた包装紙を作ってはいましたが、いわゆる定番の包装紙は用意
していませんでした。
クリスマス用に「百貨店のシンボルとなるようなオリジナルの包装紙を作ろう」
という話が持ち上がったのは、戦後間もない1950年。
「戦後の暗い世相に光を」との考えによる、日本で初めての試みでした。
包装紙のデザインを手がけたのは、猪熊弦一郎画伯。「華ひらく」と名づけ
られたデザインは、画伯が千葉の犬吠埼を散策中、海岸で波に洗われる
石を見て、「波にも負けずに頑固で強く」をテーマにしようと考えたことから
生まれました。包装紙のデザインを画伯に依頼し、出来上がった作品を受
け取りにいったのは、当時三越宣伝部の社員だった漫画家、やなせたかし
さん。抽象的なデザインの赤い切り抜きが白い紙にテープで仮止めされた
だけのデザイン画には、やなせさんも驚いたものの、商品を包んでみると
それこそ花が開いたようにぱっと明るくなるのを見て「さすが猪熊画伯」と
感心したそうです。
ショッピングバッグ
「デパートメントストア宣言」から110年を迎えた2014年。「あらためて未来へ
と向かう」という考えのもと、「伝統と革新の先で実る自由のシンボル」として
ショッピングバッグをリニューアル。新しいショッピングバッグ「実り」は、友
禅作家の森口氏が日本伝統工芸展60回展に出品した友禅訪問着の柄を
ベースにしており、バッグに適するデザインに立体的に再設計。たわわに
実るリンゴを表現した幾何学文様の黒い文様を少しずつ細くすることで、
4面それぞれが違がった印象を持つように仕上げました。1950年に洋画家
の猪熊弦一郎氏が考案した包装紙「華ひらく」と共に展開し、「花が咲いて
実る」ことをイメージしたそうです。しかし、2~3年は三越ファンから不評で、
クレームが殺到したそうです。今では落ち着いて三越の顔の一つになりま
した。
<パイプオルガン>
昭和5年(1930)、世界的に定評のある米国マイテー・ウェルリッツァー社製
の最新式パイプオルガンを購入。電力によって奏する大仕掛けなもので、
メインとソロの2種からなり、全体の間口は8.2m。
当初は7階ギャラリーに設置されていましたが、昭和10年(1935)の本館全館
完成時に、現在の中央ホール2階バルコニーに移されました。
当時その演奏は、JOAKの電波に乗って全国の音楽ファンに発信されていました。
現在でも、毎週金曜・土曜・日曜の各日午前10時30分、正午、午後3時の1日3回、
オルガン奏者による生演奏が行われ、店内にその美しい音色が響きわたってい
ます。
平成21年(2009)1月14日に、中央区民有形文化財として登録されました。
<中央ホール>
中央ホールは、5層吹抜の大空間で、
天井はステンドグラスをヴォールト状に配したトップライトです。
柱や梁、手摺廻りは大理石張りとし、手摺グリルやガラスなどを
アールデコ風の装飾で飾っています。
当日はパイプオルガンの生演奏中で、
素晴らしい音色が中央ホール一杯に心地よく鳴り響いていました。
空間の重厚感は他のデパートでは絶対に味わえないでしょうね。
<三越劇場>
三越劇場は、
2層吹抜で東にステージを設けた劇場。壁面と天井は大理石、
木彫、石膏整形やステンドグラスなどにより装飾され、
グレーを基調としてさまざまな紋様や幾何学模様をペイント
色彩で着色するなど、重厚で濃密な空間を構成しています。
ここも素晴らしく落ち着いた空間です。
<三圍神社>
文和年間(1352年〜1356年)の頃、近江三井寺の僧源慶が東国を巡錫中、
墨田川牛島のほとりの弘法大師建立になる、荒れはてた小堂に立ち寄った
際、その床下より現れた壷をあけると、その中より忽然と白狐が現れ、壷の
中の宇迦之御魂命の神像のまわりを、三度めぐっていずこともなく消え去
ったので、爾今この社を「みめぐり」(三圍)とよばれるようになったと伝えら
れている。
また元禄六年の旱魃の際俳聖其角は、この社に「夕立や田を三めぐりの
神ならば」と一句献じますと、翌日早速雨が降ったといわれており、爾来何
でも願い事の叶う縁起のよい神として、大正三年九月二十一日、当屋上に
遷座されて以来広く庶民より崇められている。
<特別食堂>
15分控えの間で待って入った特別食堂は、
フランスの室内装飾家ルネ・プルーによるアールデコで飾られていて、
緑色大理石の丸柱や柱頭部の持送り、壁面のグリルなど当時の
潮流を示しているとても落ち着いた空間でした。
周りを見ると品の良い中高年の方々でいっぱい。
リピーターのお客様が多いという感じでした。料理は和食も洋食も
「・・・・・美味しい。また食べに来たい」と思わせるクセの無い食感で、
空間と料理と両方を同時に食べているようなとても贅沢な気分を
味わっていました。
必ずまた行きたくなるような・・・。
とにかくこの日本橋三越本店本館の二階にうちのお店があります。
昨日も多くのお客様がご来店下さっていました。
あらためて、ホテルは帝国ホテル。デパートは日本橋三越本店。
デパートであり、重要文化財であり、美術館であり、博物館であり、
尚且つ、日本の文化の伝導であり、歴史の荘厳さと権威、庶民
の憧れを一心に担ってきたおもてなし精神・・・を感じました。
レトロな食堂と癖の無い美味しさ。
いやあ・・・・、定期的に食べに行きたい落ち着いた場所ですよ。
それとデパ地下で売っているパン。美味しかったですよ。
仕事を兼ねて定期的に行ってみたい。
三越劇場の階にある美術館は週に一度内容が変わるそうです
から、それだけでもいく価値があります。
なにか、久々にワクワクするなあ。
日本橋三越本店に行った帰りは上野の国立博物館や美術館まわり
も楽しみだし・・。さすがお江戸ですね。