「感謝」1/18(木)
今日みたいに広島に帰らないといけないと思うと、
無意識なんでしょうが朝の2時半には目が覚めます。
それから身支度をして本を読みます。
「ふむふむ、なるほど・・・」。
この早朝の静かな集中読書はよく心の中に入ってきます。
これから今日は少し早い朝の散歩に出かけて5時から仏参。
5時半には会社を出て羽田に向かい7時の羽田発→広島行
に副住職の潤聖と乗ります。うちのような小さいお寺は法務が
ない時はここに来てしっかり出稼ぎ中です。
そして乗ったら1時間余りグッスリ。
広島に帰ることになるとおおよそ朝はこんな状態です。
そういえばネットで光源寺住職堀隆史さんを入力すると、
妙徳寺のホームページ内に郷土史研究会か何かの時の写真の
中に写ってらっしゃて、「おお・・・」と久々にお元気な時の御姿を
懐かしく見ていました。
さて、光源寺は私が住職を勤める長松寺の師匠寺ですから、私が
38歳から今まで、父、祖母、母、姉と4名の家族の葬儀の導師
をお勤めしていただきました。
あの方のご法話の中で、必ず「故人の過去を振り返りながら、
あのときはああだった、この時はこうだったと思い出深く亡き
方の思い出にひたられたことでございましょう」。というフレーズ
が出てきます。そうするとまだ小さかった子どもたちが、光源寺
さんがお帰りになると、その物まねを上手にするのです。その物ま
ねを聞きながらみんなが大笑いしていた・・・、失礼な話ですが、
今と成ればそれもよき思い出となりました。
また、私のブログをよく読んで下さっていたようで、お会いすると
そんなお話をよくして下さいました。
そんなことを思い出しながら今日は感謝の気持ちを込めて葬儀
に出勤させてもらおうと思っています。導師は照栄寺の井口住職で、
つい最近うちにマウンテンパーカー等を出して「メチャきれいにな
ってる」と大喜びしてくれていたようです。
そして、今日は広島で感謝の葬儀です。
ご本人の人柄でしょう。お坊さんだらけ。そして沢山の人たちが
お別れを悲しみました。
大学のご友人の弔辞で、
「なぜ、あなたは怒らないのか」と言うと、「誰もがええとこがあるけえ」
と言って、彼が怒ったことを見たことがなかった。その彼が、さらに、
うちの息子が怒ったことを見たことがないと言って、息子のことを
褒めてましたという、その言葉が印象的でした。
怒らない、受け入れる・・・。実は怒らないのではない、根気よく
その人の成長をしっかり伝えながら見守っていたのでしょう。
タイプは様々ですが、学ぶところが大きいです。
無意識なんでしょうが朝の2時半には目が覚めます。
それから身支度をして本を読みます。
「ふむふむ、なるほど・・・」。
この早朝の静かな集中読書はよく心の中に入ってきます。
これから今日は少し早い朝の散歩に出かけて5時から仏参。
5時半には会社を出て羽田に向かい7時の羽田発→広島行
に副住職の潤聖と乗ります。うちのような小さいお寺は法務が
ない時はここに来てしっかり出稼ぎ中です。
そして乗ったら1時間余りグッスリ。
広島に帰ることになるとおおよそ朝はこんな状態です。
そういえばネットで光源寺住職堀隆史さんを入力すると、
妙徳寺のホームページ内に郷土史研究会か何かの時の写真の
中に写ってらっしゃて、「おお・・・」と久々にお元気な時の御姿を
懐かしく見ていました。
さて、光源寺は私が住職を勤める長松寺の師匠寺ですから、私が
38歳から今まで、父、祖母、母、姉と4名の家族の葬儀の導師
をお勤めしていただきました。
あの方のご法話の中で、必ず「故人の過去を振り返りながら、
あのときはああだった、この時はこうだったと思い出深く亡き
方の思い出にひたられたことでございましょう」。というフレーズ
が出てきます。そうするとまだ小さかった子どもたちが、光源寺
さんがお帰りになると、その物まねを上手にするのです。その物ま
ねを聞きながらみんなが大笑いしていた・・・、失礼な話ですが、
今と成ればそれもよき思い出となりました。
また、私のブログをよく読んで下さっていたようで、お会いすると
そんなお話をよくして下さいました。
そんなことを思い出しながら今日は感謝の気持ちを込めて葬儀
に出勤させてもらおうと思っています。導師は照栄寺の井口住職で、
つい最近うちにマウンテンパーカー等を出して「メチャきれいにな
ってる」と大喜びしてくれていたようです。
そして、今日は広島で感謝の葬儀です。
ご本人の人柄でしょう。お坊さんだらけ。そして沢山の人たちが
お別れを悲しみました。
大学のご友人の弔辞で、
「なぜ、あなたは怒らないのか」と言うと、「誰もがええとこがあるけえ」
と言って、彼が怒ったことを見たことがなかった。その彼が、さらに、
うちの息子が怒ったことを見たことがないと言って、息子のことを
褒めてましたという、その言葉が印象的でした。
怒らない、受け入れる・・・。実は怒らないのではない、根気よく
その人の成長をしっかり伝えながら見守っていたのでしょう。
タイプは様々ですが、学ぶところが大きいです。
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