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「農家と一緒」1/8(月)
朝早く起き一生懸命仕事をして夜も早く寝る。

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管理職はほぼ三百六十五日ルーチンワークで仕事をする。


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考えてみればここでの生活は自然界の中で生きる農家と同じようです。


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作物を育てるためには長い視点で物事をとらえ
10年単位で見ていくことが必要です。


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長く見るとは神仏の視点です。


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そんなところまでには到底いけませんが、
見る視点が永くなればなるほど
人は大らかになって、他人を優しく見れます。


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逆に視点が短いと、
短気になって、他人を批評批判したり責めたりします。


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目の前のことをありのまま見ていく。
その上で今やることを全力でやっていく。


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決してボーとして一日を過ごす事でも
過剰に反応して一喜一憂することでもない。


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問題意識をもってより淡々と、
今をしっかり生きていくこと。


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やるへ゛きことを
与えられた今日の一日の中で
感謝と共にしっかりやっていこうとすること。
そういうことなんだよなあ・・・・。


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ゴミ拾いをしながら
早朝散歩で大道沢公園を歩きながら感じていたことです。


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今日は結構空き缶や瓶が多かった。


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二月になれば
雪の中を歩くんでしょうね。


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真っ白の世界はキレイだろうなあ・・・。


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さて私が住職を務める長松寺御正忌法要では沢山の
蝋燭が感謝でお供えられます。


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蝋燭というのは正しい智慧の光をあらわします。


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うちのスタッフたちも蝋燭をお供えしてくれました。


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渡したちが、今、ここで生きているのは、私以外の多くの「いのち」
に支えられているからです。これは人間に限らず、動植物に至るまで
ですね。

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私たちの考えのおよばないほどの多くの「いのち」に支えられ
私たちは今ここに生かされています。

この「いのち」を光と受け止めたら、私たちは量り知ることでき
ない多くの光に照らされ、育まれて、今ここを生かされて生き
ているわけです。

この多くの蝋燭の光は、まさにそういった真実を教えてくれて
いるわけです。

光に照らされ生かされて生きているんだよって、今の私は。

・・・・・・・・・

先ほど、
副住職と坊守(妻)から
「御正忌が終わって、かたずけが終わりました」と
連絡がありました。
「雨の中、いろんな皆さんのお参りがありましたよ」と。
役員の皆さんお手伝いありがとうございました。


副住職と坊守は
今から枕経を読みに福山に行きます。
明日のお通夜、明後日の葬儀です。
お寺っていつもこんな感じです。


明後日の葬儀が終わると
副住職は最終の広島発の飛行機で羽田空港へ。
そして高速バスで千葉の君津へ入ります。
夜はナチュラルクリーンの社宅で、私の住んでいる北子安庵
(彼の部屋がある)へ宿泊して
翌日の早朝四時から仕事に入ります。
今回は当分いるんじゃないかな。


彼のここでの仕事は
ワイシャツプレスとコンピューターの入力やカルテ作成です。
うちは一人何役もやる多能工システムですから、
クレバやることは山ほど与えられます。


そういった
現実的で具体的な実践の中で、
「学仏大悲心」、少しでも仏さんの大きな思いやりや、
愛情力の真似事を行いながら、自分が喜々として仕事を懸命
にすること。周りのスタッフたちに、できる範囲での
サポートをすること。そして、何があっても給与
が得られること自体に感謝をすること。


そういった自分自身を納得させる
当たり前のことを、ここでは体験していき
いろんなことを学び気づいていきます。


結局、
人間って自分自身を納得させる旅をしているのが、
私たちの人生であると思うのです。


誰のために生きるものでもなく、
自分の心が納得できるのかどうかを試しに、
人間はこの世に生まれてくるのかもしれません。
今、いろいろと悩む人を視ますと、それは自分の本心が
「納得していない」がゆえに、
起こる悩みでありいらだちなのです。


つまり、
他人からいくら助言を受けたところで
、いくら他人に不満をぶちまけたところで、
自分自身の良心が不完全燃焼である限り、
いくら念仏を称えようが、
決して安心は訪れません。、


また、
人間は、ただ待っていても
感謝の時も心も起こってきません。
絶対にです。安っぽい感謝もどきは別ですよ。
そうであるならば、自分から感謝の時と心に近づくしかない。
それは具体的な目標目指して努力するしかないということです。
努力して、自分の心が納得するまでやり切る。
それしか自分の心が納得して安心を得る
ことはありません。
また心からの感謝も起こることはありません。


ここは単純に
自分の与えられた仕事や課題をやり切って、
自身の心が「納得する」場です。それも一人じゃなく、
全員が同じ目的を持っているから、そこに向かって協力し合ったり、
切磋琢磨できる場です。この場は。


だから
次から次へと圧縮的に課題が与えられていきます、
そしてそれをやり切って自身の良心が納得すればするほど、
自身の自我が昇華されて薄まっていきます。
その度に自分の心の枠が広がり自由になっていきます。
自由になって変なこだわりや、かたよりが
なくなってきます。
そうなると、人に思いやりが持て、強く明るく生き
れるようになっていきます。


給与もあるが、
そんなことを体験することが一番大きいです。
彼がここに通いたいと願うのは。
また、ここにいる人たちもほとんどがそうじゃないかなって、
思います。当然、私も。そして私の周りにいる人たちも。
いのちのご馳走を味わうというか、それが一番気持ちよ
く、好きというか・・・・。


それにしても、
やっぱり蝋燭の灯りって心を温かくしてくれますねえ。
あれだけ揃うと荘厳だし。よかったです。


それと、
それぞれの名前、いい字書いてるねえ・・・。
邦ちゃんかいな。いい字です。

05:52, Monday, Jan 08, 2018 ¦ 固定リンク ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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