「正しく生きたい」7/26(水)
正しい人生を生きるとは?
老子は、
●正しく生きたいと「思えること」
●正しく生きようと「すること」
●そう思えた人生は、どんな結果でも正しい人生なのである。
と、言われています。
結果じゃない。正しく生きたいという志を持って生きる
ということが尊いのだと。
救われますねぇ、
こうおっしゃっていただくと。
いつも
理想と現実のギャップを感じているだけに、
「有難いよなあ~~~」と、ほっとします。
毎日仕事をしてといると、
いろんなことが起こります。
まさにマンガみたいなことばかりです。
ただ、言えるのは、
私も含め少なからずもここに参集している全員が
「正しく生きたい」と漠然と思いながらも
生きているのだと感じています。
「正しく生きたい」という思い。
「よりよく生きたい」という思い。
その思いは、
人によって強さ弱さ深さ浅さはありますが、
どんなに不器用でドン臭い人生でも、
決してこの「正しく生きたい」「より良く生きたい」
という思いから決して離れてはいけません。
そういう純粋な思いを持ち続けるということは
自分にウソがつけなくなるし、良心を誤魔化かせなくなるし、
なにより自分自身のいのちが納得した生き方しか
できなくなっていきます。
そして何かに悩む時間、
悩みという妄想で四苦八苦するのがもったいないので、
悩みという妄想が頭の中を覆い出すと、先取自己防衛、
危機管理で、これに対して、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」と
それでも生かされているわが身を感謝していきます。
つまり、自分自身に、
悩みという妄想漏電の時間を
与えないのです。
自分を振り返ってみて下さい。
当たり前のことですが
悩を妄想漏電をして、よくなったためしがない。
そうすれば、
嫌な事でも、苦しい事でも、嬉しいことでも、楽しい事でも、
この世は有難いことだらけなんだ、
どんな状態でも自分は大きないのちに
多くの先祖に
生かされているのだと思えてきます。
だからこの「正しく生きたい」「よりよく生きたい」って
いつも意識して思っているって
とっても大切だと思います。
仕事や人生をもっと楽しむためにも、
「正しく生きたい」「よりよく生きたい」「愉しく生きたい」。
だからなんでも感謝して行動する。
※おきちゃん、京都から広島の長松寺郁珠堂まで春ちゃんの
7回忌のお参りにわざわざ来てくれてありがとう。
榊原さんや岡本さんとも歓談できてよかったです。
さぞかし春ちゃんも喜んだことでしょう。
あらためて原爆忌・盂蘭盆会のときに春ちゃんとの思い出と
人間が救われるってどういうことなのかをお話しします。
今回おきちゃんが春ちゃんの供養のために動けたということ。
そしてその動きに私も法子さんも感応して読経したということ。
まだまだ迷いの中にあった春ちゃんの心が開かれ、
春の日差しのように太陽の光が届きだしたんだね。
そして多分、今回の法要のご法話の中で
春ちゃんのいのちがはっきりと救われていくんだろうと感じます。
まさに邪定聚→不定聚→正定聚の三願転入です。
身内のいなかった春ちゃんが、身内代わりに
最後まで看取ったおきちゃんをはじめ佐脇家の人たちの愛情
に癒され、仏さまの温かいお慈悲に抱かれて
救われていくんだね。ふ~ううう、凄いね、人のいのちが
救われていくって。まさに、なんまんだぶつです。
また、多くの人の迷いのいのちが浮かばれていったらいいね。
坊さんである私は何の力もないけども、個々のいのちを
目覚めさせる阿弥陀さんの本願力は計り知れないからね。
老子は、
●正しく生きたいと「思えること」
●正しく生きようと「すること」
●そう思えた人生は、どんな結果でも正しい人生なのである。
と、言われています。
結果じゃない。正しく生きたいという志を持って生きる
ということが尊いのだと。
救われますねぇ、
こうおっしゃっていただくと。
いつも
理想と現実のギャップを感じているだけに、
「有難いよなあ~~~」と、ほっとします。
毎日仕事をしてといると、
いろんなことが起こります。
まさにマンガみたいなことばかりです。
ただ、言えるのは、
私も含め少なからずもここに参集している全員が
「正しく生きたい」と漠然と思いながらも
生きているのだと感じています。
「正しく生きたい」という思い。
「よりよく生きたい」という思い。
その思いは、
人によって強さ弱さ深さ浅さはありますが、
どんなに不器用でドン臭い人生でも、
決してこの「正しく生きたい」「より良く生きたい」
という思いから決して離れてはいけません。
そういう純粋な思いを持ち続けるということは
自分にウソがつけなくなるし、良心を誤魔化かせなくなるし、
なにより自分自身のいのちが納得した生き方しか
できなくなっていきます。
そして何かに悩む時間、
悩みという妄想で四苦八苦するのがもったいないので、
悩みという妄想が頭の中を覆い出すと、先取自己防衛、
危機管理で、これに対して、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」と
それでも生かされているわが身を感謝していきます。
つまり、自分自身に、
悩みという妄想漏電の時間を
与えないのです。
自分を振り返ってみて下さい。
当たり前のことですが
悩を妄想漏電をして、よくなったためしがない。
そうすれば、
嫌な事でも、苦しい事でも、嬉しいことでも、楽しい事でも、
この世は有難いことだらけなんだ、
どんな状態でも自分は大きないのちに
多くの先祖に
生かされているのだと思えてきます。
だからこの「正しく生きたい」「よりよく生きたい」って
いつも意識して思っているって
とっても大切だと思います。
仕事や人生をもっと楽しむためにも、
「正しく生きたい」「よりよく生きたい」「愉しく生きたい」。
だからなんでも感謝して行動する。
※おきちゃん、京都から広島の長松寺郁珠堂まで春ちゃんの
7回忌のお参りにわざわざ来てくれてありがとう。
榊原さんや岡本さんとも歓談できてよかったです。
さぞかし春ちゃんも喜んだことでしょう。
あらためて原爆忌・盂蘭盆会のときに春ちゃんとの思い出と
人間が救われるってどういうことなのかをお話しします。
今回おきちゃんが春ちゃんの供養のために動けたということ。
そしてその動きに私も法子さんも感応して読経したということ。
まだまだ迷いの中にあった春ちゃんの心が開かれ、
春の日差しのように太陽の光が届きだしたんだね。
そして多分、今回の法要のご法話の中で
春ちゃんのいのちがはっきりと救われていくんだろうと感じます。
まさに邪定聚→不定聚→正定聚の三願転入です。
身内のいなかった春ちゃんが、身内代わりに
最後まで看取ったおきちゃんをはじめ佐脇家の人たちの愛情
に癒され、仏さまの温かいお慈悲に抱かれて
救われていくんだね。ふ~ううう、凄いね、人のいのちが
救われていくって。まさに、なんまんだぶつです。
また、多くの人の迷いのいのちが浮かばれていったらいいね。
坊さんである私は何の力もないけども、個々のいのちを
目覚めさせる阿弥陀さんの本願力は計り知れないからね。
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