「道徳心の追求」6/3(土)
「人間にとって最も大切な努力は、
自分の行動の中に道徳を追求していくことです。
私たちの内面的なバランス、そして存在そのものが
そのことにかかっています。
行動に現われる道徳が、
人生に美と品位をもたらします」
アルバート・アインシュタイン
アインシュタインが言う道徳とは、
「道徳→良心からの自己を律する規律」です。
また、人から無理強いされ、強制される道徳ではありません。
それは、実に「外発的」であり、「恐怖やイヤイヤの義務感」であり、
アインシュタインが指す自己を律する規律(道徳)ではありません。
そうではなく、「自主的な道徳」「内発的な道徳」こそが大切であり、
自分自身へ品格や安定や安心を与えてくれるものでもあります。
毎朝4時15分から
必ず40分余りのゴミ拾いを兼ねた散歩をします。
毎朝カラで持って出るゴミ袋は
いつの間にかポイ捨てされたタバコ、ティシュ、お菓子の袋、
ペットボトル、空き缶、弁当箱・・・・等々でいっぱいになります。
この散歩とゴミ拾い
森林公園はきれいになるし、
私の心もスッキリきれいになっていくし、
毎日がとっても気持ちよくスタートできます。
当然ゴミ拾いは自主的にやっているわけですが、
自主的な道徳には、自分の我良し自我を排除する作用があると
感じます。
毎朝のゴミ拾い、
掃除や整理整頓なとで自我が薄くなるにつれて、
自分の良心や愛情心が自然に気持ちよく発露し始める感じがします。
相手の「行動」の道徳観を客観的に観ていくことは、
その人物を最も正確に知ることになるし、その人の未来、
良くなるか悪くなるか、成功するか失敗するか、そんなことを
正しく知ることができます。
今日は、尋常勤行の後の講話で、そんな話をするのと共に、
早朝自然界の中を歩くことの清々しさや森林の気を受けることの
気持ち良さをも話しました。
ちょっしたことでいいのです。
自他共に喜べることを気持ちよく続けていくこと。
森林の中を歩く散歩とゴミ拾い。
メダカのお世話や庭の草花に意識を向けること。
とっても気持ちいいです。
自分の行動の中に道徳を追求していくことです。
私たちの内面的なバランス、そして存在そのものが
そのことにかかっています。
行動に現われる道徳が、
人生に美と品位をもたらします」
アルバート・アインシュタイン
アインシュタインが言う道徳とは、
「道徳→良心からの自己を律する規律」です。
また、人から無理強いされ、強制される道徳ではありません。
それは、実に「外発的」であり、「恐怖やイヤイヤの義務感」であり、
アインシュタインが指す自己を律する規律(道徳)ではありません。
そうではなく、「自主的な道徳」「内発的な道徳」こそが大切であり、
自分自身へ品格や安定や安心を与えてくれるものでもあります。
毎朝4時15分から
必ず40分余りのゴミ拾いを兼ねた散歩をします。
毎朝カラで持って出るゴミ袋は
いつの間にかポイ捨てされたタバコ、ティシュ、お菓子の袋、
ペットボトル、空き缶、弁当箱・・・・等々でいっぱいになります。
この散歩とゴミ拾い
森林公園はきれいになるし、
私の心もスッキリきれいになっていくし、
毎日がとっても気持ちよくスタートできます。
当然ゴミ拾いは自主的にやっているわけですが、
自主的な道徳には、自分の我良し自我を排除する作用があると
感じます。
毎朝のゴミ拾い、
掃除や整理整頓なとで自我が薄くなるにつれて、
自分の良心や愛情心が自然に気持ちよく発露し始める感じがします。
相手の「行動」の道徳観を客観的に観ていくことは、
その人物を最も正確に知ることになるし、その人の未来、
良くなるか悪くなるか、成功するか失敗するか、そんなことを
正しく知ることができます。
今日は、尋常勤行の後の講話で、そんな話をするのと共に、
早朝自然界の中を歩くことの清々しさや森林の気を受けることの
気持ち良さをも話しました。
ちょっしたことでいいのです。
自他共に喜べることを気持ちよく続けていくこと。
森林の中を歩く散歩とゴミ拾い。
メダカのお世話や庭の草花に意識を向けること。
とっても気持ちいいです。
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