「前念命終 後念即生」5/17(水)
昨年の今日、法子さんは大動脈解離で緊急の大手術を行って
あれから一年が経過しました。
まだまだ体調の浮き沈みはありますが、生存率20パーセント
からの奇跡的な復活は目を見張るものがあります。
「生きろ!」という多くの先祖のご加護があったのでしょう。
また、縁あるみんなの「生きて欲しい」という強い願いがあった
のでしょう。
今日は社員をはじめ、全国の法友たちからお祝いのお花等が
届きました。
「前念命終 後念即生」。
早朝、全員で「正信偈」を拝読し、あらためて古い「いのち」が終
わり、信を深めた彼女の新たな「いのち」が今日よりスタートしまし
た。
人間は、突然の不運や不幸が訪れるものです。しかし、この世で
はどんなに注意しても「起こる」ことには、善悪を含めて偶然な
どありません。つまり、本当は不運や不幸などは一切ないのです。
必ず未来を「改善させるために」起こってくれる物事なのです。
今回の彼女の一件によって、会社も随分脱皮して変わりましたし、
ご家族の結束も益々強くなりました。また、彼女も浄化され大きく
変化しました。
人間が大きく変化することは、今回のように思う以上に突然に「起
こる」のです。それがいつなのか?は、誰もきまっていません。ただ、
かなりショッキングなことが起きない限り、人間は大きく変わる
ことは出来ないという性があるのは確かです。
今回の一件を通して彼女は、今まで以上に自分自身を大切にする
と同時に、自分自身を大切に育てることに意識が向くようになりま
した。
人生とは、自分自身を育てて仏さまにお返しする旅を、自身のいのち
が挑戦中とも言えます。彼女は昔からそうでしたが、あれ以来、より
仏の目を通した自分の価値観で自信を持って生きるようになりました。
自分を常に見詰めて生きることは、自分がよりよく死んでいくための
練習にもなります。他人の目や、外の神仏を頼って生きていれば、
死ぬときは必ず不安になっていきます。自分の心にはすでに仏が
来て下さっていたことを深く自覚して、後悔なく残された人生を生きれ
ば、すべてが楽しく充実した思い出になって浄土に還っていきます。
人間は、自分の心に寄り添う仏への強い自覚を持てない限り、常に
自信が持てずよそ見ばかりして迷い続ける事になります。
要は100パーセント仏とともにある自分を信じて、どんなダメな自分も
認めて、仏と先祖に「生かされていること」への感謝をしていけば、
必ずすべてが良き方向へ改善されていき、心が安定していきます。
心さえ元気になれば、あとの移りゆく社会生活には負けずに、この世を
楽しめます。「前念命終 後念即生」。まあ、そういう楽しい人生が彼女
はスタートしたということです。
何より彼女は、「自分が存在している不思議」に気づいたということです。
普通、私たちは、自分がこの世にいること、生きていること、が当たり前
になっていて、「自分が存在している」という原点を忘れてしまってます。
「自分が存在している不思議」を忘れている人間は、心が弱く影が薄く
なって、「悩み」「明日を恐れ」「人の目や口を気にし」「生命力が低下」
していき、そして大切な、「自分の実現力、実行力」を失くしていきます。
人間は自分が生まれた「奇跡」、「存在している不思議」を、もっと自覚し
信じなくてはなりません。私たちは生まれて、今に存在し、しかも生かさ
れています。もう、これで十分じゃないですか。
はっきり言います。自分の思い通りにならないからと不安がる人、悩みが
多い人、不満が多い人は、自分が生まれたことへの感謝がない人です。
自分が「それでも」「そんな環境でも」生かされていることを自覚できない
人です。これでは運気も上がらないし、すべてが逆になっていきます。
だから、素直な、「自分は存在させてもらっています」「自分は生かされて
います」と日常生活の中で、もっと感謝していきましょう。必ず心からの生
命力が復活していきます。
人間は、自分の今の「思い方」一つで、本当に人生が変わるのです。
不幸になるのも、幸福になるのも、怖いほどの「自分の自由」なのです。
自由とは、自己責任であることを忘れてはいけない、他人の責任、過去の
責任、環境の責任にしている限りは、真の自由は絶対に来ないのです。
良い縁を破壊しているのは感謝の無い自分自身だと気づきましょう。
そして法子さんのようら仏と共にある自分を信じて感謝で強く生きてい
きましょう。明るく頑張るんです、二度とない人生を。
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