「正しさとは」5/15(月)
昨日の午後12時5分にお亡くなりになられた
うちのお寺の広島市内地区の総代さんであった
87歳の渡辺さんは元県庁の職員で、とっても温厚で
包容力のある方でした。
普通、どんなにいい人であったとしても、
どこか一つぐらい、嫌な癖がありそうなものですが、
この方にはそういった嫌な癖がまったくと言っていいほど
見当たりません。思い出せません。
大無量寿経の中に出てくるお経の言葉である
「和顔愛語」通りの方でしたし、また、身も心も柔軟な
「身心柔軟」な方でありました。
結構
辛口の私が、ここまで人を褒めるのは珍しいです。
それぐらい相手の気持ちを察して、相手の立場に立ったり、
相手を思いやる愛情ある対応ができる人でした。
仏教でいう正しさとは、
常に相手の身になり、周りの人の身になり、多くのいのちの
立場に立つということです。
ものを見るにしても、考えるにしても、話すにしても、
生活するにしても、常に相手の身になり、相手の立場に立って
生きるのが、正しく生きるということです。
話はこれだけですが、これがなかなか難しいのです。
私たちは仏法を聞いて、頭でど゛れだけ理解しわかったとしても、
この身や口は、なかなかそうはなりません。
相手の立場に立つどころか、
知らず知らずのうちに、自分のことばっかりを
追い求めてしまう人間です。
こういう自己中心的な人間のことを凡夫といいます。
ただ、渡辺さんはそうじゃあなかったです。
私たち凡夫が、自己中心的な自我に執着するのは、
本当に信頼できるものを見失っているからです。
本当に信頼できるものがあれば、自我に執着する
必要もないのです。
だから、渡辺さんは自分自身をとても自己信頼
されていたのだと思います。
それこそ自己を信頼し、無意識のうちにも
仏さまや多くのご先祖の方々とともに生きていらっしゃったから、
渡辺さんに会うと誰もがほっとできるような
温かさを自然と出されていたのではないかと思います。
今日の午後6時から
広島市内の平安祭典で「お通夜」をお勤めさせて
いただきますが、在りし日の正しく生きた渡辺さんの温かい笑顔を
思い浮かべながら、お通夜のお経を拝読させていただきます。
多くの皆さんに対して
温かい笑顔を布施してくださって
ありがとうございました。
感謝のお念仏を申し上げさせていただきます。
うちのお寺の広島市内地区の総代さんであった
87歳の渡辺さんは元県庁の職員で、とっても温厚で
包容力のある方でした。
普通、どんなにいい人であったとしても、
どこか一つぐらい、嫌な癖がありそうなものですが、
この方にはそういった嫌な癖がまったくと言っていいほど
見当たりません。思い出せません。
大無量寿経の中に出てくるお経の言葉である
「和顔愛語」通りの方でしたし、また、身も心も柔軟な
「身心柔軟」な方でありました。
結構
辛口の私が、ここまで人を褒めるのは珍しいです。
それぐらい相手の気持ちを察して、相手の立場に立ったり、
相手を思いやる愛情ある対応ができる人でした。
仏教でいう正しさとは、
常に相手の身になり、周りの人の身になり、多くのいのちの
立場に立つということです。
ものを見るにしても、考えるにしても、話すにしても、
生活するにしても、常に相手の身になり、相手の立場に立って
生きるのが、正しく生きるということです。
話はこれだけですが、これがなかなか難しいのです。
私たちは仏法を聞いて、頭でど゛れだけ理解しわかったとしても、
この身や口は、なかなかそうはなりません。
相手の立場に立つどころか、
知らず知らずのうちに、自分のことばっかりを
追い求めてしまう人間です。
こういう自己中心的な人間のことを凡夫といいます。
ただ、渡辺さんはそうじゃあなかったです。
私たち凡夫が、自己中心的な自我に執着するのは、
本当に信頼できるものを見失っているからです。
本当に信頼できるものがあれば、自我に執着する
必要もないのです。
だから、渡辺さんは自分自身をとても自己信頼
されていたのだと思います。
それこそ自己を信頼し、無意識のうちにも
仏さまや多くのご先祖の方々とともに生きていらっしゃったから、
渡辺さんに会うと誰もがほっとできるような
温かさを自然と出されていたのではないかと思います。
今日の午後6時から
広島市内の平安祭典で「お通夜」をお勤めさせて
いただきますが、在りし日の正しく生きた渡辺さんの温かい笑顔を
思い浮かべながら、お通夜のお経を拝読させていただきます。
多くの皆さんに対して
温かい笑顔を布施してくださって
ありがとうございました。
感謝のお念仏を申し上げさせていただきます。
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