「追悼法要ということ」3/10(木)
明日は「東日本大震災追悼法要を」お勤めするため、
坊守(家内)に頼んで、白衣、黒衣、大五条袈裟、袴、中啓、
二連珠、足袋、下駄の法要一式セットが今日会社の方へ
送られてきました。
そして、法子さんの机の上には明日お供えする
御花や果物や饅頭などの供物が並んでいました。
明日は「追悼法要」です。
決して「慰霊祭」でも「追善供養」でもありません。
追は訪ね求めていくこと、悼は高くすぐれた心の人となること、
法要とは、仏法を中心として集まった人たちや亡くなった人たち
と感謝で通い合うことです、
お葬式には必ず読む御文章に「白骨の御文章」があります。
この最後に、
「されば、人間のはかなきことは、老少不定のさかいなれば、
たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏と
ふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり」とあります。
「人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば」
とは、人間のはかなさということは、年寄りであろうが、若かろうが、
まったく年齢に関係なくすべての人の姿なんだ、ということです。
次に、「たれの人も後生の一大事を心かけて」とは、
後生とは後に生まれる生、後に生まれる世界という意味です。
続いて、「阿弥陀仏とふかくたのみまいらせて」とありますが、
この「たのむ」とは、仏さんに依頼するとか、お願いするということじゃなくて、
深く本願(仏さんの必ず救うという誓い)を信じるということです。
仏さんは、
大無量寿経の中で、人間は死んだらおしまいじゃあないよ。
人生を過ごした後に、無量寿仏国に生まれていくんだよ、
と教えて下さっています。
3:11から5年が経過して、
一般的に多くの人々の「いのち」の平安を願いますが、
人が懸命に生きようとしていた上での自然災害や天災による死は、
仏さんの大慈悲心によって、一人ひとりの「いのち」は安らかに
救われ「無量寿仏の国」に生まれていらっしゃるのです。
つまり、多くの方々が震災によって亡くなられてからの
世界が明らかになることによって、自分が死ぬという問題、一番
嫌がってた、触れたくなかった死という問題すら「浄土に生まれていくんだよ」
と、解決していくわけです。
「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え」
という言葉があるんですが、先に浄土に往生した者は、後に残った人々を
導いて下さっているわけてす。
だから明日は「迷わないでね」「悲しまないでね」「化けて出ないで」という
集いじゃない。後に生まれた私たちを導いて下さっていることを感謝し
ながら仏法を味合う集いなのです。
まさにそういった私にとって一大事の日が、明日の「追悼法要」なのです。
坊守(家内)に頼んで、白衣、黒衣、大五条袈裟、袴、中啓、
二連珠、足袋、下駄の法要一式セットが今日会社の方へ
送られてきました。
そして、法子さんの机の上には明日お供えする
御花や果物や饅頭などの供物が並んでいました。
明日は「追悼法要」です。
決して「慰霊祭」でも「追善供養」でもありません。
追は訪ね求めていくこと、悼は高くすぐれた心の人となること、
法要とは、仏法を中心として集まった人たちや亡くなった人たち
と感謝で通い合うことです、
お葬式には必ず読む御文章に「白骨の御文章」があります。
この最後に、
「されば、人間のはかなきことは、老少不定のさかいなれば、
たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏と
ふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり」とあります。
「人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば」
とは、人間のはかなさということは、年寄りであろうが、若かろうが、
まったく年齢に関係なくすべての人の姿なんだ、ということです。
次に、「たれの人も後生の一大事を心かけて」とは、
後生とは後に生まれる生、後に生まれる世界という意味です。
続いて、「阿弥陀仏とふかくたのみまいらせて」とありますが、
この「たのむ」とは、仏さんに依頼するとか、お願いするということじゃなくて、
深く本願(仏さんの必ず救うという誓い)を信じるということです。
仏さんは、
大無量寿経の中で、人間は死んだらおしまいじゃあないよ。
人生を過ごした後に、無量寿仏国に生まれていくんだよ、
と教えて下さっています。
3:11から5年が経過して、
一般的に多くの人々の「いのち」の平安を願いますが、
人が懸命に生きようとしていた上での自然災害や天災による死は、
仏さんの大慈悲心によって、一人ひとりの「いのち」は安らかに
救われ「無量寿仏の国」に生まれていらっしゃるのです。
つまり、多くの方々が震災によって亡くなられてからの
世界が明らかになることによって、自分が死ぬという問題、一番
嫌がってた、触れたくなかった死という問題すら「浄土に生まれていくんだよ」
と、解決していくわけです。
「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え」
という言葉があるんですが、先に浄土に往生した者は、後に残った人々を
導いて下さっているわけてす。
だから明日は「迷わないでね」「悲しまないでね」「化けて出ないで」という
集いじゃない。後に生まれた私たちを導いて下さっていることを感謝し
ながら仏法を味合う集いなのです。
まさにそういった私にとって一大事の日が、明日の「追悼法要」なのです。
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