「煩悩に目鼻つけたが、わが姿」9/23(水)
島根県温泉津に生きた念仏者に浅原才一という人がいました。
この人は、自分のことを「煩悩に目鼻つけたが、わが姿」とうたい
ました。
私とは何かというと、時にいいことも言う、また正しいこともする。
しかし、縁に触れれば何をするかわからない。
つまり、私とは何かというと、煩悩に目と鼻わつけた生き物だと、
そう言ってるわけです。
煩悩という衝動で生きているのが私だ、ということです。
また、仏さまの目には、喜びと感謝を失った「いのち」は、貧しい
やせ細った「いのち」に見えているそうです。
また、人間の強さ。これもあてにならない。人間というものは
他人のことには強いのです。
ただ、自分のことになったらなかなか強くなりきれません。
本当の強さとは自分の弱さを認め、人の弱さを受け入れること
にあると思います。
とかく肉体を鍛え、精神を鍛え、自分は強くなったような気には
なるものですが、ただ、相変わらず人がどうのこうの、わしが、
わしがと、自己中心的な我執はさらに強くなっていったりもする。
そういう弱い自分を見ながら、「なんと自分はお粗末な存在だ
よなぁ・・・」、と素直に自我を否定でる人が、本当に強い人なの
だ、と思いますね。
そうなったり、そうなれなかったり、一日中、自我に振り回されて
いる弱い自分がいますねえ・・・振り返れば。
だから、ただただ、仏さま生かしていただいてありがとうございます。
何があっても、ただただ念仏しかないです。
この人は、自分のことを「煩悩に目鼻つけたが、わが姿」とうたい
ました。
私とは何かというと、時にいいことも言う、また正しいこともする。
しかし、縁に触れれば何をするかわからない。
つまり、私とは何かというと、煩悩に目と鼻わつけた生き物だと、
そう言ってるわけです。
煩悩という衝動で生きているのが私だ、ということです。
また、仏さまの目には、喜びと感謝を失った「いのち」は、貧しい
やせ細った「いのち」に見えているそうです。
また、人間の強さ。これもあてにならない。人間というものは
他人のことには強いのです。
ただ、自分のことになったらなかなか強くなりきれません。
本当の強さとは自分の弱さを認め、人の弱さを受け入れること
にあると思います。
とかく肉体を鍛え、精神を鍛え、自分は強くなったような気には
なるものですが、ただ、相変わらず人がどうのこうの、わしが、
わしがと、自己中心的な我執はさらに強くなっていったりもする。
そういう弱い自分を見ながら、「なんと自分はお粗末な存在だ
よなぁ・・・」、と素直に自我を否定でる人が、本当に強い人なの
だ、と思いますね。
そうなったり、そうなれなかったり、一日中、自我に振り回されて
いる弱い自分がいますねえ・・・振り返れば。
だから、ただただ、仏さま生かしていただいてありがとうございます。
何があっても、ただただ念仏しかないです。
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