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「周利槃特軍団」10/28(月)
『チューラパンタカ(周利槃特・しゅりはんどく)』

釈尊(お釈迦さま)が、
生きておられた時の話です。


インド北部に、2人の兄弟がおりました。
兄はとても賢くて、釈尊の教えをよく理解し、
深く仏教に帰依していました。


弟の名は、周利槃特。


ものを覚えるのがたいへん苦手で、
自分の名前すらも覚えられず、
いつも人から笑われていました。


兄は、弟を心配し、釈尊から聞いた教えを
短い詩にまとめて、なんとか弟に覚えさせようとしますが、
朝には覚えられたと思っても、昼には
もうごちゃごちゃになってしまうのです。


あるとき兄は、弟を励まそうとして、
「自分の道は自分で探しなさい」と突き放しました。


それを聞いた周利槃特は、
自分の愚かさに涙を流しながら途方にくれてしまいました。
それをごらんになっていた釈尊が言いました。


「自分が愚かであることに気づいている人は、
智慧ある人なのです。
愚かであるのに自分はかしこいと思っている人こそ、
本当の愚か者なのです。」


そして、周利槃特に1本のほうきを渡して、


「ちりを払わん、あかを除かん」


と、掃除をしながら唱えなさいと教えられました。


こんなに短い言葉でしたが、
友人たちに助けられながら、どうにかこうにか、
来る日も来る日も唱え続けました。


自分の道は自分で探さなけらばという必死の思いと、
ちりを払う、あかを除くという釈尊の教えとが重なって、
だんだんと、周利槃特の心の中で、問いが熟していきました。


そうだ、ちりやあかとは、私の執着の心。
そうだ、丸っぽ私はちりなのだ、丸っぽ私はあかなのだ。
そうだ、私は今から、仏の眼をいただいて生きていこう。


古いお経を読むと、
周利槃特は天眼を得たと書かれてあります。
つまり、彼はさとりを得たのです。


仏の眼(仏の教え)を疑いなく受け入れて、
仏の眼に依って生きていこうという曇りない決意こそ、
はっきりと澄んだ、朗らかなさとりの味わいだったのです。


周利槃特は、さとりを得て、賢くなったのではありませんでした。
ましてや、仏法を教える側の先生になったのでもありませんでした。
彼は、仏法に教えられながら、教えをわが両眼として、
一生涯を生きていく人となったのでした。


誰よりも愚かだった
周利槃特がさとりを得たことに、周囲が驚いていると、
釈尊が静かに言いました。


「さとりには、多くのことを学ばなければいけないというのではないのです。
ほんの短い教えの言葉であっても、その言葉の本当の意味を理解し、
道を求めていくならば、さとることができるのです。」


仏の教えは、どんな人にも、等しく、広く、開かれています。
ほんの短い言葉でもかまわないのです。教えを聞いていきましょう。

  (文責・一哉  参考・『ブッダと親鸞』東本願寺出版、
                  『仏弟子の告白』岩波文庫)



よくスタッフてたちに


「わしらは周利槃特軍団や。
難しいことはよくわからんが、毎日毎日、
ウォータークリーニングの仕事をしながら、
心の垢を払おう、垢を落とそうって、考えてみれば
やってるみたいなもんやからなあ・・。」


毎日毎日・・・ただただ「垢を払おう。塵を落とそう」です。


生かしていただいて ありがとうございます。

21:42, Monday, Oct 28, 2013 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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