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「理想的な環境」9/13(金)
8/16≪6おひさまありがとう≫ブ゜ログより転載

私たちが今回今生で生きている上での最上の挑戦は
いかにして自我の縛りをほどくことができるか。
ということであります。


しかし自我の縛りをほどくということは、
(=我良しの願望を手放すということは)
自我にとって非常なる恐怖であります。


しかるゆえに、
私たちは自我の縛りをほどくことは
なかなかできません。


しかしこの私たちの世界でも、
自我の縛りからほどかれやすい境遇と、
自我の縛りがほどかれにくい境遇があります。


ほどかれやすい境遇の人は幸運であるといえます。


では不幸な境遇とはどういう境遇でしょうか。
それは自我の挫折が少ない境遇であります。
我良しの自我が温存される境遇です。


たとえば一生贅沢して暮らせる境遇とか、
どんなに不摂生をしても健康であるとか、
自分がいつも我儘や暴言を吐いていたとしても、
周囲にちやほやかしづかれている境遇です。


ごく稀には何不自由のない王族の跡継ぎに生まれても、
全てを捨てて真我の灯明を探しにいく
奇特な方もいらっしゃいますが
大部分の人間の自我にとっては、
贅沢な環境はすぐアタリマエとなり、
自我がぶくぶく太っていくこととなります。


多くの人が自分の思い通りに動く環境だと
自我の大好きなパワーゲームに興じることになります。


人が傷つくこととか、
弱い立場の人をいたわることに、
どんどん鈍感になっていくのが常です。


しかし自我は「足りる」とか
「満足する」ということはありません。
良心からどんどん離れた場所につき進んでいきます。


一方自我がほどける寸前の境遇もあります。
自我の「もっともっと」という要求が満たせない人です。
生活費がかつかつで贅沢が出来ない人は幸いです。
いつも健康に注意しなきゃいけない人は幸いです。


仕事で最底辺で誰にも威張れない人は幸いです。
こういう人は自我のあべこべトリックの幻想から
半強制的に抜けかかかっている人であります。


一番弱い人の視線で世の中を観ることができますから。
一番弱い人の視線とは良心の視線であります。
自分と同じように弱い人に対して、
思い遣りをもてる最大のチャンスであります。


ないない尽くしの生活であるからこそ、
少し恵まれると感謝を持って受け取ることができます。
この世は与えらていることばっかりだ〜。と
気づくことができる最大のチャンスであります。


自我のあべこべトリックの謎解きとは、
手放せば手放すほど与えられるということです。


財産に対する執着を手放すほど、
愛憎に対する執着を手放すほど、
奪われることのない恩寵が与えられます。


(現実にはもう食うに困ることはなくなるし、
寂しい孤独な状態も解消されることが大半となりますが、
しかし貧乏なままでも、孤独なままでも、構わなくなります。
そのため奪われることのない恩寵と表現します。)


自我を手放すほど真我にいる時間が長くなります。
だから、自我の執着を手放しやすい境遇ほど、
幸運なひとであるといえます。


これは自我のあべこべトリックの視点の
社会価値観とは正反対です。


持たざる人ほど幸運です。
挫折の人ほど幸運です。
真我の視点(=弱者の視点)で社会を観られますから。


深い挫折を経験した人の目が優しい理由です。
真我に留まるとは、
社会では弱者の視点にとどまるということです。
優しさと感謝の視点にとどまるということです。


自我の視点とは、
強者の視点に這い上がりたいとあがくことです。

            ≪転載終了≫

まことにその通りです。


自分の「いのち」が選んだ今の環境はまさに自我
の縛りから、執着からほとけて、できるだけ真我(仏性)
に居ることができるベストの環境です。


今日の朝のミィーテングの朗読では、この内容が紹介
されましたが、全員「うん、うん」と頷くばかり。


みんな・・・「その通りだよなぁ・・」と納得するばかり。


それもそのはず、それぞれの「いのち」は表面意識で
は「え・・・もっと楽がいいのに」と思っても、そうじゃない。
まさに自分の「いのち」を束縛する自我から解放されて、
仏性(良心)沿って自由自在に自身の特性、持ち味を
発揮したいと願ってるのです。


そして現に自身の持つ特性(独自固有の長所)を発揮
することの役割を、自覚、無自覚にかかわらず、それ
ぞれが担っています。


また、まだまだ本来の役割を担わなくてはならないた
めに厳しく鍛えられてチャレンジしている、させられて
いる「いのち」もいます。


早朝から一気に飛ばして一日汗ビッショリになりなが
ら、駆け抜けていくって感じです。
ただ世間から見れば、ちょっと考えられない、
自分はこんなに働くのは嫌だと、
と思うであろう環境です。


しかし、僕は違います。
会社の寮「子安庵」に帰って、
冷たい酎ハイレモンを一気飲みしてふわ・・とすること。
「ああ、やりきったぁぁ・・」こけがちよっした喜びの一つ
でもあります。物凄く安上がりな。


仕事ではとんでもないことが一杯起こってくるわけですが、
人から見たらサッパリ分からなかったり、誤解を
うけたすることも多々ありますが、ただ、お互いが
「自在」「自立」「解放」に向かっていけることのみを、
選択基準としているようです。


そして後は、今を精一杯頑張るだけです。
ひょっしとしたらそれが生死の視点を生きるという
ことかもしれない。


それがこの世に生まれてきた一人ひとりの
「いのち」の目的であり、願いそのものだと思う。


そのために「必要、必然、ベスト」の環境や同朋を
与えられたことに心から感謝です。


とにかくこれだけ理想的な環境を与えられたということ
は・・、本当にあり得ないぐらい奇跡的なことなのかも
知れません。


この内容を読んで、あらためてそう感じました。
そして、よくぞここまで我ままで横着をよくも運び、導いて
下さいました。御恩報謝かあ・・・なんとなく分かるなあ。


生かして頂いて ありがとうございます。

18:29, Friday, Sep 13, 2013 ¦ 固定リンク ¦ コメント(1) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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頂いて ありがとうございます。

名前: prada outlet ¦ 18:34, Monday, May 05, 2014 ×



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