「良心と自我」8/10(土)
「その通りだなあ・・・」
今回のお話で良心と自我の違いがよくわかりますよ。
≪おひさまありがとう≫ブログより転載
自我を観察できる絶好の機会。
2013-08-10 09:54:34 | 日記
自分は悪くない。自分が正しい。
間違っているのは相手だ。
日々の生活で私たちは良くこのように自問します。
「自分は相手に対して正しいか」
この質問は、このように言い換えられます。
「自分は相手に対して優しかったか」
真我(良心)の視点ではどちらも同じ意味です。
自分が正しいかどうかの判断は、
自分が相手に優しかったどうかで決まります。
しかし自我は別です。
自分が正しいのに、相手が間違っているのに、
どうして自分は相手に優しくしてやんなきゃいけないの?
相手が謝罪してきちんと償わない限り、
私が相手に親切にすることはあり得ません。
何で自分があんな奴に優しく接しななきゃいけんのよ。
これが自我の視点です。
私たちは日常で、
「自分は相手に対して正しいはずだ。」
と憤慨することは多いのですが、
その時、こう自問するのは良い練習になります。
「自分は相手にやさしいだろうか。」
もし自分は正しいはずなのに、相手にやさしくないのであれば
それはなぜなのかを観察することができます。
自分が正しいのなら、相手にやさしいはずです。
相手にやさしくないのなら、
自分と思っていたものが、
自由な真我(良心)ではなく
がんじがらめに縛られていた自我なのでした。
それを観ることができる機会であります。
≪転載終了≫
う・・・・む。
いくら自分が正しいと思っていても、
その心根が「やさしいか?」「やさしくないか?」
「正しいことはやさしいこと。思いやっているということ。」
「やさしさの心根は良心」「正しくともやさしくないのは自我か?」。
わかりやすい。
自分を省みれる視点です。有難い。
生かして頂いて ありがとうございます。
今回のお話で良心と自我の違いがよくわかりますよ。
≪おひさまありがとう≫ブログより転載
自我を観察できる絶好の機会。
2013-08-10 09:54:34 | 日記
自分は悪くない。自分が正しい。
間違っているのは相手だ。
日々の生活で私たちは良くこのように自問します。
「自分は相手に対して正しいか」
この質問は、このように言い換えられます。
「自分は相手に対して優しかったか」
真我(良心)の視点ではどちらも同じ意味です。
自分が正しいかどうかの判断は、
自分が相手に優しかったどうかで決まります。
しかし自我は別です。
自分が正しいのに、相手が間違っているのに、
どうして自分は相手に優しくしてやんなきゃいけないの?
相手が謝罪してきちんと償わない限り、
私が相手に親切にすることはあり得ません。
何で自分があんな奴に優しく接しななきゃいけんのよ。
これが自我の視点です。
私たちは日常で、
「自分は相手に対して正しいはずだ。」
と憤慨することは多いのですが、
その時、こう自問するのは良い練習になります。
「自分は相手にやさしいだろうか。」
もし自分は正しいはずなのに、相手にやさしくないのであれば
それはなぜなのかを観察することができます。
自分が正しいのなら、相手にやさしいはずです。
相手にやさしくないのなら、
自分と思っていたものが、
自由な真我(良心)ではなく
がんじがらめに縛られていた自我なのでした。
それを観ることができる機会であります。
≪転載終了≫
う・・・・む。
いくら自分が正しいと思っていても、
その心根が「やさしいか?」「やさしくないか?」
「正しいことはやさしいこと。思いやっているということ。」
「やさしさの心根は良心」「正しくともやさしくないのは自我か?」。
わかりやすい。
自分を省みれる視点です。有難い。
生かして頂いて ありがとうございます。
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