「合掌」 12月1日
自分のおごりや傲慢さを
いやというほど
見せられます
気付かせていただいてありがとうございます
合掌
智子
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■コメント
私的メモ。
人にはそれぞれ前世がある。という考え方があります。本当にあるのかどうかはわかりませんが、あるのなら大変興味深いと思います。
一体私は前世で何をしていたのだろう。どこに生まれていたのだろう。どういう仕事をしていたのだろう。誰と敵対し、誰と仲間であったのか。などなど。
しかし私達は前世の記憶を持ちません。したがって前世があったとして、それがどういう人生だったか。を知る由はありません。
ん?本当でしょうか。本当に知る由はないのでしょうか。
ひょっとしたらそれは意外に簡単にわかるかもしれません。むむむ。
もし前世があるとしたならば、そして今生、ここに生まれ変わってきているとしたら、それは前世の未練を悔いないようにやり直したい。という強い強い魂の願いから、再びこの世に生まれて来たのであろう。と推測できます。一説によると生まれ変わることの倍率は非常に高いと言われています。自分のこれまでの前世での因果と、これから生まれようとしている人生の因果がドンピシャでなければならないからです。
ということは、私が今回生まれて来たこの人生、この生活は、私が未練たらたらだった執着をドンピシャで再現してくれる人生環境であったということです。
では自分は今毎日何に未練たらたらか、毎日何を許せないと思って生きているか、毎日何逃げたいと思って生きているか。誰に受け入れられたいと思って生きているのか。
そのように自分の心を観察するだけで、自分の前世はどういう人生だったか、自分自身でわかるようになるということです。ふむう。
前世があるとして、かつて生まれた国と時代とか、その時の身分とか、その時の仕事などは実は本質は関係のないことです。それはその前世を終えた時にそこに置いていったものですから。
今回の人生だって、私達は死ぬ時に、社会的な名前や肩書、看板は全て置いておくことになるのと同じなのでしょう。
ということは、きっと、人生を終えた後に残るのは、自分の心に対するやり遂げた〜という「満足感」か、ああもう一度やり直したいという「未練か」だったのでしょう。
それはきっと、ああ、今回も逃げてばかりいたけど、逃げないで真正面から努力すれば良かった〜。かもしれません。
それはきっと、ああ、今回も許せない許せないと石の心だったけど、許してあげれば良かった〜。かもしれません。
あるいはそれはきっと、ああ、今回も他人から受け入れられて欲しい。欲しい。って思ってたけど、結局自分の心が自分を受け入れていれば良かったのか〜。かもしれません。
そう!だからこの毎日の生活で「逃げたい」ことから、なかなか逃げられないのか。
うむ!だからこの毎日の生活で「許せない」相手ばかり遭遇するのか。
うむむむ〜だからこの毎日の生活で「他人から受け入れられない」ことが起こるのか。
もし私に前世というものがあるのなら、国や時代や身分や仕事は今と全く違っているでしょうけど、「逃げたかったこと」「許せなかったこと」「受け入れられなかったこと」は、今日の生活の私と全く同じであったのだなあ。と思います。今生きている今日の生活は全然、前世そのものと同じだったのか。
ありがとうございます。
人にはそれぞれ前世がある。という考え方があります。本当にあるのかどうかはわかりませんが、あるのなら大変興味深いと思います。
一体私は前世で何をしていたのだろう。どこに生まれていたのだろう。どういう仕事をしていたのだろう。誰と敵対し、誰と仲間であったのか。などなど。
しかし私達は前世の記憶を持ちません。したがって前世があったとして、それがどういう人生だったか。を知る由はありません。
ん?本当でしょうか。本当に知る由はないのでしょうか。
ひょっとしたらそれは意外に簡単にわかるかもしれません。むむむ。
もし前世があるとしたならば、そして今生、ここに生まれ変わってきているとしたら、それは前世の未練を悔いないようにやり直したい。という強い強い魂の願いから、再びこの世に生まれて来たのであろう。と推測できます。一説によると生まれ変わることの倍率は非常に高いと言われています。自分のこれまでの前世での因果と、これから生まれようとしている人生の因果がドンピシャでなければならないからです。
ということは、私が今回生まれて来たこの人生、この生活は、私が未練たらたらだった執着をドンピシャで再現してくれる人生環境であったということです。
では自分は今毎日何に未練たらたらか、毎日何を許せないと思って生きているか、毎日何逃げたいと思って生きているか。誰に受け入れられたいと思って生きているのか。
そのように自分の心を観察するだけで、自分の前世はどういう人生だったか、自分自身でわかるようになるということです。ふむう。
前世があるとして、かつて生まれた国と時代とか、その時の身分とか、その時の仕事などは実は本質は関係のないことです。それはその前世を終えた時にそこに置いていったものですから。
今回の人生だって、私達は死ぬ時に、社会的な名前や肩書、看板は全て置いておくことになるのと同じなのでしょう。
ということは、きっと、人生を終えた後に残るのは、自分の心に対するやり遂げた〜という「満足感」か、ああもう一度やり直したいという「未練か」だったのでしょう。
それはきっと、ああ、今回も逃げてばかりいたけど、逃げないで真正面から努力すれば良かった〜。かもしれません。
それはきっと、ああ、今回も許せない許せないと石の心だったけど、許してあげれば良かった〜。かもしれません。
あるいはそれはきっと、ああ、今回も他人から受け入れられて欲しい。欲しい。って思ってたけど、結局自分の心が自分を受け入れていれば良かったのか〜。かもしれません。
そう!だからこの毎日の生活で「逃げたい」ことから、なかなか逃げられないのか。
うむ!だからこの毎日の生活で「許せない」相手ばかり遭遇するのか。
うむむむ〜だからこの毎日の生活で「他人から受け入れられない」ことが起こるのか。
もし私に前世というものがあるのなら、国や時代や身分や仕事は今と全く違っているでしょうけど、「逃げたかったこと」「許せなかったこと」「受け入れられなかったこと」は、今日の生活の私と全く同じであったのだなあ。と思います。今生きている今日の生活は全然、前世そのものと同じだったのか。
ありがとうございます。