「痛感しています」10月27日
僕たちの「いのち」は、他の「いのち」に支えられて生きてます。どんな
時でも、一人で生きてるのではない。まさにお客様という相手や目の
前の相手があり、周りの同僚や仲間、取引会社や関わってる人たちが
あり、もっというと、自分では、何のかかわりもないと思っている人も居
て下さるから好きな仕事ができ、支えられ生きておれるのです。
ですから正しいとは、常に相手の身になり、周りの人の身になり、多く
の「いのち」の立場に立つということです。ものを見るにしても、考えるに
しても、話すにしても、生活するにしても、常に相手の身になり、他の
「いのち」の立場に立って生きるのが、正しく生きるということなのです。
ただ、これがとても難しい。僕たちは自分の利を忘れるどころか、他の
人の利を忘れて、知らず知らずのうちに、自分の利だけを追い求めて
しまう愚かで自己中心的な人間なんて゛す。仏教ではこれを凡夫(ぼん
ぶ)と言います。相手の身になるどころか、どんな時でも自分の立場、
自分の身を優先し、自分中心の生き方、つまり忘他利己しかできない
人間なのです。
・・・・・・・日々是笑日より
お客様からのクレームの原因は
すべてこれです。
常に、「中心はどこ?」と」
自分に問いかけながら
行動、言葉を発して
いかなくては・・・・
痛感しています。
がんばろう!
時でも、一人で生きてるのではない。まさにお客様という相手や目の
前の相手があり、周りの同僚や仲間、取引会社や関わってる人たちが
あり、もっというと、自分では、何のかかわりもないと思っている人も居
て下さるから好きな仕事ができ、支えられ生きておれるのです。
ですから正しいとは、常に相手の身になり、周りの人の身になり、多く
の「いのち」の立場に立つということです。ものを見るにしても、考えるに
しても、話すにしても、生活するにしても、常に相手の身になり、他の
「いのち」の立場に立って生きるのが、正しく生きるということなのです。
ただ、これがとても難しい。僕たちは自分の利を忘れるどころか、他の
人の利を忘れて、知らず知らずのうちに、自分の利だけを追い求めて
しまう愚かで自己中心的な人間なんて゛す。仏教ではこれを凡夫(ぼん
ぶ)と言います。相手の身になるどころか、どんな時でも自分の立場、
自分の身を優先し、自分中心の生き方、つまり忘他利己しかできない
人間なのです。
・・・・・・・日々是笑日より
お客様からのクレームの原因は
すべてこれです。
常に、「中心はどこ?」と」
自分に問いかけながら
行動、言葉を発して
いかなくては・・・・
痛感しています。
がんばろう!
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