『死を想う』
代表のお寺でよくお会いしていた竹政さん。
優しく客観的でスタイリッシュな方で、
僕の中にも少なからず憧れに近いものがあったと思います。
知らせを聴いても尚。
訃報を聴くと、その方への潜在的な想いであるとか、
その方のいのちのプリズムであるとか、
言葉にはしにくいですが、
スーっと、相互にそうしたエネルギーを感じたりすることがあります。
その人となり、を生前よりもあきらかに。
まるで肉体という枠を抜けた、
本来のその方により近いカラーのようなものでしょうか。
妙な言い方かも知れませんが、
僕はよく、人の死を想います。
身近な両親や職場のスタッフ、 友人。
本当はこんなカラーを持つ、いのちなんだ。
この方と、こう接していたい…。
そんな本音のような想いが湧いてきます。
人は幾重もの様々な鎧を着て、
生きているといわれます。
つい、気がつくと、
自分にも相手にも、
純粋ないのちの音に耳を傾けることを損じていないかな、
改めてそんなことを思っていました。
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