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『いのちの海のなかで。』
松山さんのお父さんの
元 身体はほんの1時間ほどで、
からりとした、骨だけになっていました。

我が身と照らし、
この身体に閉じ込められたような
この生、 こりゃ夢のようなものだと
感じられていました。

少し前の、棺の中の表情は、
とてもかわいい笑顔に見え、
それは、式場を包んだ浄土的な安心感もあったのですが、
出棺の際、それでも
特に感情はないのに、涙がでたのは、

それは、魂の 無邪気さという
なにか、宇宙の生命表現に
触れたからだと思いました。

かぜ、
たなびく豊かな房総の緑、

火葬場往復の道は
とても印象的でした。

いのちって、何らかしらの交流をもって
生業とあり

その果として、自分は今
どうしてそう感じているのか、
それを問い続けているのが、
ひとつの自分というものの正体みたいなもののように思います。

心地よいこと、
障りあること、
おもしろいこと、

つきまへんなあ。

夢って、主あっての夢、、 ですね。。













23:16, Wednesday, Jun 16, 2010 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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