「昭和天皇」8/15(木)
昭和天皇がダグラス・マッカーサーと会見
今日は何の日 昭和20年9月27日
昭和20年(1945)9月27日、昭和天皇がダグラス・マッカーサーを
訪れ、会見しました。歴史的な会見として知られます。
昭和20年8月15日、玉音放送によって、日本の敗戦が国民に知
らされました。この時、昭和天皇が心を痛めていたのは、自分の
臣下であった者が、戦争犯罪人として裁かれることでした。
「自分が一人引き受けて、退位でもして、収めるわけにはいかな
いだろうか」。昭和天皇は、木戸内大臣にそう洩らされたといいま
す。
8月30日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが厚木に
到着。その3日後の9月2日、東京湾に入った戦艦ミズーリ艦上に
おいて、降伏調印式が行なわれました。 マッカーサーは、以後、
政策立案は連合国総司令部GHQが行なうと日本政府に通告
。GHQは本部を皇居の隣に移すと、9月11日、事前通告なしに東
條英機元首相をはじめとする37人を戦争犯罪人として逮捕、拘留
しました。前日、アメリカ議会では、昭和天皇を戦犯として裁く決議
案が提出されています。
その少し後のこと、新たに外相となった吉田茂が昭和天皇に招
かれて宮中に赴き、マッカーサーに会いたいという意向を告げら
れました。9月20日、吉田は天皇の意向をマッカーサーに伝えます。
マッカーサーは自分が天皇にお目にかかるのはよいことだと思うが、
天皇の自尊心を傷つけたり、困らせることがあってはならないとし
て、アメリカ大使公邸での会見を告げました。
9月27日午前10時。シルクハットにモーニングの正装の昭和天皇を
乗せた車が、アメリカ大使公邸の門を潜りました。もちろん、これは
ただの会見ではありません。側近たちは天皇のお命を心配し、天
皇ご自身は自分に日本人と皇族の運命がかかっていることを承知
されていました。公邸玄関にマッカーサーの姿はなく、2人の副官が
出迎えます。マッカーサーはレセプションルームで天皇を出迎え
、奥の部屋に案内しました。会見が始まる前、写真撮影があり、その
中の一枚が教科書にも載っている、あの写真です。
写真撮影後、2人の会見が始まりました。そこでどんな会話が交わ
されたのか、公式の記録はありません。しかし、マッカーサーは回
顧録に次のように記します。
「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって日本国
民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任
を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、
私自身を委ねるためにここに来ました』 ――大きな感動が私をゆさ
ぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰
すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい
感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても
日本で最高の紳士であると思った」(『マッカーサー回顧録』1963年)
また、この時、同行していた通訳がまとめた天皇の発言のメモを、翌
日、藤田侍従長が目を通しています。藤田は回想録にこう記します。
「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。
『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任
はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには
責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委
せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助を
お願いしたい』
一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露
は、マッカーサー元帥を強く感動させたようだ。
『かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられたこ
とは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申
したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順
調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。 これか
らの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは
多い。どうか、よろしくお願い致したい』」とマッカーサーは言った(藤
田尚徳『侍従長の回想』昭和36年)。
会見は当初、15分の予定でしたが、35分にも及び、会見終了後、マ
ッカーサーの天皇に対する態度は一変していました。感動した彼は
予定を変えて、昭和天皇を玄関にまで出て見送るのです。マッカー
サーの最大の好意の表われでした。
人を動かすものとは何か、昭和天皇のお姿が、すべてを語っておら
れます。日本がまな板の上に乗せられたあの時に、昭和天皇がい
らっしゃったことは、日本人にとってどれほど大きな意味があったか、
そんな気持ちになります。
崇高な慈悲心と潔さ、素晴らしい昭和天皇は日本人の誇りです。
今日は何の日 昭和20年9月27日
昭和20年(1945)9月27日、昭和天皇がダグラス・マッカーサーを
訪れ、会見しました。歴史的な会見として知られます。
昭和20年8月15日、玉音放送によって、日本の敗戦が国民に知
らされました。この時、昭和天皇が心を痛めていたのは、自分の
臣下であった者が、戦争犯罪人として裁かれることでした。
「自分が一人引き受けて、退位でもして、収めるわけにはいかな
いだろうか」。昭和天皇は、木戸内大臣にそう洩らされたといいま
す。
8月30日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが厚木に
到着。その3日後の9月2日、東京湾に入った戦艦ミズーリ艦上に
おいて、降伏調印式が行なわれました。 マッカーサーは、以後、
政策立案は連合国総司令部GHQが行なうと日本政府に通告
。GHQは本部を皇居の隣に移すと、9月11日、事前通告なしに東
條英機元首相をはじめとする37人を戦争犯罪人として逮捕、拘留
しました。前日、アメリカ議会では、昭和天皇を戦犯として裁く決議
案が提出されています。
その少し後のこと、新たに外相となった吉田茂が昭和天皇に招
かれて宮中に赴き、マッカーサーに会いたいという意向を告げら
れました。9月20日、吉田は天皇の意向をマッカーサーに伝えます。
マッカーサーは自分が天皇にお目にかかるのはよいことだと思うが、
天皇の自尊心を傷つけたり、困らせることがあってはならないとし
て、アメリカ大使公邸での会見を告げました。
9月27日午前10時。シルクハットにモーニングの正装の昭和天皇を
乗せた車が、アメリカ大使公邸の門を潜りました。もちろん、これは
ただの会見ではありません。側近たちは天皇のお命を心配し、天
皇ご自身は自分に日本人と皇族の運命がかかっていることを承知
されていました。公邸玄関にマッカーサーの姿はなく、2人の副官が
出迎えます。マッカーサーはレセプションルームで天皇を出迎え
、奥の部屋に案内しました。会見が始まる前、写真撮影があり、その
中の一枚が教科書にも載っている、あの写真です。
写真撮影後、2人の会見が始まりました。そこでどんな会話が交わ
されたのか、公式の記録はありません。しかし、マッカーサーは回
顧録に次のように記します。
「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって日本国
民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任
を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、
私自身を委ねるためにここに来ました』 ――大きな感動が私をゆさ
ぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰
すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい
感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても
日本で最高の紳士であると思った」(『マッカーサー回顧録』1963年)
また、この時、同行していた通訳がまとめた天皇の発言のメモを、翌
日、藤田侍従長が目を通しています。藤田は回想録にこう記します。
「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。
『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任
はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには
責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委
せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助を
お願いしたい』
一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露
は、マッカーサー元帥を強く感動させたようだ。
『かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられたこ
とは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申
したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順
調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。 これか
らの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは
多い。どうか、よろしくお願い致したい』」とマッカーサーは言った(藤
田尚徳『侍従長の回想』昭和36年)。
会見は当初、15分の予定でしたが、35分にも及び、会見終了後、マ
ッカーサーの天皇に対する態度は一変していました。感動した彼は
予定を変えて、昭和天皇を玄関にまで出て見送るのです。マッカー
サーの最大の好意の表われでした。
人を動かすものとは何か、昭和天皇のお姿が、すべてを語っておら
れます。日本がまな板の上に乗せられたあの時に、昭和天皇がい
らっしゃったことは、日本人にとってどれほど大きな意味があったか、
そんな気持ちになります。
崇高な慈悲心と潔さ、素晴らしい昭和天皇は日本人の誇りです。
16:07, Thursday, Aug 15, 2019 ¦ ¦ コメント(0)
「ジャワカレー」8/15(木)
昨日は、
水がいい久留里という城下町に行って、
そうめんと、豆腐と、揚げを買ってきたので、
お昼は、冷やしたそうめんと冷やし豆腐に、
揚げをいただきました。
美味しい。
とくにつけだしをギンギンに冷やしていたので、
そうめんがとっても美味しかったし、
豆腐も揚げね美味しかった。
で、なぜかこれらを食べ終わったら、
シンプルなジャワカレー中辛を作るべく、
スーパー富分に行ってジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、
牛肉、ジャワカレーを買ってきてカレー作りに。
今回は一切こだわらない
ガランマサダは入れない
ごく一般的家庭的なカレーです。
さてさて、
勝負は早いよ、
家庭用カレーは。
そろそろかな・・・・。
ルーを入れましょう。
水がいい久留里という城下町に行って、
そうめんと、豆腐と、揚げを買ってきたので、
お昼は、冷やしたそうめんと冷やし豆腐に、
揚げをいただきました。
美味しい。
とくにつけだしをギンギンに冷やしていたので、
そうめんがとっても美味しかったし、
豆腐も揚げね美味しかった。
で、なぜかこれらを食べ終わったら、
シンプルなジャワカレー中辛を作るべく、
スーパー富分に行ってジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、
牛肉、ジャワカレーを買ってきてカレー作りに。
今回は一切こだわらない
ガランマサダは入れない
ごく一般的家庭的なカレーです。
さてさて、
勝負は早いよ、
家庭用カレーは。
そろそろかな・・・・。
ルーを入れましょう。
14:23, Thursday, Aug 15, 2019 ¦ ¦ コメント(0)