「楽しいことしかしない」3/28(木)
今日の早朝散歩では
散歩道の「大道沢緑道」に咲き始めた桜を
昨日購入したまったく慣れないスマホで、
「う・・・ん、ようわからんのう・・」と一人ぶつくさ言いながら
撮影してきました。
写真の出来はへたくそですが、
実際はとっても桜がキレイに咲き始めてる姿に感動しました。
この桜も満開を迎えるとあっという間に散っていくわけで、
昔からこの桜の花を通して仏教でいう無常を言い表して
きました。
「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」
親鸞聖人が9歳の時に読まれた和歌です。
どんなに満開に咲き誇った桜も一夜の嵐であっという間に
去ってしまう・・・人間の一生というものはそんなはかないもの
なのだ。だから生かされてといる今を感謝して自分の心の良心が
納得した生き方を生きていこう、といことなんです。
というように、人生は無常であり有限ですから、どんなに地位名誉
を手に入れてもやがてはこの世を去っていかなくてはなりません。
で、私には有限なるこの世をより良く生きるためのモットーがあります。
それは「楽しいことしかしない」ということ。これは享楽快楽の楽しい
ということじゃなくて、心が喜ばないことしかしないということなのです。
たとえば、「う~~ん」ということがあっても、やるべきことがあれば、それ
をさっさと片付けて、あとは、とにかく自分の楽しいことだけをする。
私は自分で言うのもなんですが、嘘がつけない人というか、上手が
できない人なので、どちらかというと人間関係が実はとても苦手で、
「どうも・・・」という煩わしい人付き合いや、組織の中に入ってやりたく
ないことに縛られることなどは、可能な範囲、可能な限り、関わらない
ようにしています。
人から見れば自分勝手のように見えるかもしれませんが、自分の心
に嘘はつけないし、無理をすることによって自他共に不快な思いを
するのが嫌であり罪だと思うからです。
自分の仕事や生活を歳を取るとともにて゛きるだけ単純にして、楽しい
ことだけに意識を集中していけば、決して落ち込んだり、自他共に傷つ
いたりすることも少なくなっていくと思いますし、取り越し苦労して嫌な
思いをすることもなくなってきます。
私は必ず朝礼や昼礼や終礼には積極的に参加して、まあ、業務や
専門的な勉強もありますが、何が一番伝えたいかというと、この世を
後悔なくより良く生きるコツというか、真実を伝えることが私にとっては
一番楽しい。
そういう法話を聴く時のみんなの目や顔はイキイキしています。
そしてみんなの日常生活や仕事のクオリティがとってもアップしていきます。
そして思います。お寺を離れていても、結局やってることは、いやそれ
以上に仏法を伝道することなんだって。
常に無常なる世界。そして未来は白紙。この白紙のキャンパスにどんな
絵でも描くことができる。浄土という世界に向かってワクワクしながら楽しい
ことしかしない、いや、楽しい歓喜の人生を創造していく。
何があってもなるようになると腹を括って、自分に与えられた環境や条件
の中で頑張ればいい、そう思いますねえ・・・。
結局、人生を楽しくするのも、つまらないものにするのも、
すべては自分の責任であるわけで、そこを目指すためには、できるだけ
シンプルな付き合いや、仕事や生活に切り替えていけばいいと思うのです。
人生は、考え方ひとつで実に大きく変わります。
それを仕合せといいます。
どんなことがあっても、くよくよせず、目の前の流れに任せて
楽しいことに専心する。そういった生き方をするのが気持ちいい
んじゃないかって思いながら、スマホ悪戦苦闘しながら
早朝から楽しんでます。
※明和さん。ヨチヨチスマホデビューの桜の写真です。
散歩道の「大道沢緑道」に咲き始めた桜を
昨日購入したまったく慣れないスマホで、
「う・・・ん、ようわからんのう・・」と一人ぶつくさ言いながら
撮影してきました。
写真の出来はへたくそですが、
実際はとっても桜がキレイに咲き始めてる姿に感動しました。
この桜も満開を迎えるとあっという間に散っていくわけで、
昔からこの桜の花を通して仏教でいう無常を言い表して
きました。
「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」
親鸞聖人が9歳の時に読まれた和歌です。
どんなに満開に咲き誇った桜も一夜の嵐であっという間に
去ってしまう・・・人間の一生というものはそんなはかないもの
なのだ。だから生かされてといる今を感謝して自分の心の良心が
納得した生き方を生きていこう、といことなんです。
というように、人生は無常であり有限ですから、どんなに地位名誉
を手に入れてもやがてはこの世を去っていかなくてはなりません。
で、私には有限なるこの世をより良く生きるためのモットーがあります。
それは「楽しいことしかしない」ということ。これは享楽快楽の楽しい
ということじゃなくて、心が喜ばないことしかしないということなのです。
たとえば、「う~~ん」ということがあっても、やるべきことがあれば、それ
をさっさと片付けて、あとは、とにかく自分の楽しいことだけをする。
私は自分で言うのもなんですが、嘘がつけない人というか、上手が
できない人なので、どちらかというと人間関係が実はとても苦手で、
「どうも・・・」という煩わしい人付き合いや、組織の中に入ってやりたく
ないことに縛られることなどは、可能な範囲、可能な限り、関わらない
ようにしています。
人から見れば自分勝手のように見えるかもしれませんが、自分の心
に嘘はつけないし、無理をすることによって自他共に不快な思いを
するのが嫌であり罪だと思うからです。
自分の仕事や生活を歳を取るとともにて゛きるだけ単純にして、楽しい
ことだけに意識を集中していけば、決して落ち込んだり、自他共に傷つ
いたりすることも少なくなっていくと思いますし、取り越し苦労して嫌な
思いをすることもなくなってきます。
私は必ず朝礼や昼礼や終礼には積極的に参加して、まあ、業務や
専門的な勉強もありますが、何が一番伝えたいかというと、この世を
後悔なくより良く生きるコツというか、真実を伝えることが私にとっては
一番楽しい。
そういう法話を聴く時のみんなの目や顔はイキイキしています。
そしてみんなの日常生活や仕事のクオリティがとってもアップしていきます。
そして思います。お寺を離れていても、結局やってることは、いやそれ
以上に仏法を伝道することなんだって。
常に無常なる世界。そして未来は白紙。この白紙のキャンパスにどんな
絵でも描くことができる。浄土という世界に向かってワクワクしながら楽しい
ことしかしない、いや、楽しい歓喜の人生を創造していく。
何があってもなるようになると腹を括って、自分に与えられた環境や条件
の中で頑張ればいい、そう思いますねえ・・・。
結局、人生を楽しくするのも、つまらないものにするのも、
すべては自分の責任であるわけで、そこを目指すためには、できるだけ
シンプルな付き合いや、仕事や生活に切り替えていけばいいと思うのです。
人生は、考え方ひとつで実に大きく変わります。
それを仕合せといいます。
どんなことがあっても、くよくよせず、目の前の流れに任せて
楽しいことに専心する。そういった生き方をするのが気持ちいい
んじゃないかって思いながら、スマホ悪戦苦闘しながら
早朝から楽しんでます。
※明和さん。ヨチヨチスマホデビューの桜の写真です。
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