「法則」3/15(金)
この二〜三日、
どうも体が重く体調がすぐれません。
生きていますと、こういった体調を崩すこと、
嫌なことやいろんなことが絶え間なくあります。
しかし、この世には普遍的に一貫した法則があります。
それは人間はどんな状況であろうと、
「生かされているだけで有難い」ということです。
今こうやって生きておれるだけでも奇跡だということです。
私たちが感謝を忘れ「生かされている原点を忘れる」という
「保身」の心になること、これを「迷い」と言います。
この「生かされてい原点」を忘れ、「感謝」を忘れていきますと、
「生かされているのだよ」という奇跡を気づかせるための
仕掛けの法則が発動して、悩み、不安が起こるように働くのが、
この世の仕組みなのです。
よく運が悪いとか、
なんでこんな目に・・・とか、病気とか、ケガとか、
一般的に自分にとって都合の悪いことが起こってくる
自分にとって「なんで????」ということが起こってくるのは、
こういった仕掛けの法則が発動しているのです。
こういった法則が分ってきますと、
どんな体調が悪かったとしても、
この仕掛けが発動しないように、生かされていることへの感謝
をして「置く」心と行為が、普段から大切なのだと
意識していくようになります。
ただ人間は、すぐにこのことを忘れてしまって、日々の慌ただしい
生活に埋没していきます。
そして、すぐ横着になり、傲慢になっていきます。
本当に愚かですよね、私を含めて人間って。
だから、
うちの会社の主要メンバーは
こういった自己内省のできる
ほぼ合宿のような修行生活を日々送っているのだと思います。
意思の弱い凡夫だから。
だから昔から日本では、早朝に神社にお参りしたり、
仏教では晨朝勤行の仏参をして、日々の生活の中で感謝を忘れない
行為を、こういった手段として子々孫々継承してきたのです。
実は、この、自身の「いのち」は、
あの世では「純化(素直・謙虚・感謝が深まる)」することができないのです。
「純化(素直・謙虚・感謝が深まる)」が起こるのは、この世だけなのです。
だから私たちは、自分なりのハンディを背負ったり、苦手なことを克服する
ためにこの世にチャレンジしに来るのです。
そして「慈悲心(相手に対して深い慈しみを持つ)」を学んでいくのです。
だから、今苦しくても大丈夫、
自分の可能性に賭けて日々「生かされて生きているんだ」と
感謝が出来れば、ヘロヘロであっても大丈夫。
すべては変わっていきます。
生かされている原点へ感謝をすることで
いつも本当に不思議だなあ・・・と思うのですが
救いの事象が起こってきます。
今日は仕事を早目に切り上げ、
北子安庵のリビングのリクライニングチェアーに
横になりながらそんなことを考えていたら、
いつの間にか二時間も熟睡していました。
そして、目が覚めた。
これが奇跡なんですよね、目が覚めるということが。
どうも体が重く体調がすぐれません。
生きていますと、こういった体調を崩すこと、
嫌なことやいろんなことが絶え間なくあります。
しかし、この世には普遍的に一貫した法則があります。
それは人間はどんな状況であろうと、
「生かされているだけで有難い」ということです。
今こうやって生きておれるだけでも奇跡だということです。
私たちが感謝を忘れ「生かされている原点を忘れる」という
「保身」の心になること、これを「迷い」と言います。
この「生かされてい原点」を忘れ、「感謝」を忘れていきますと、
「生かされているのだよ」という奇跡を気づかせるための
仕掛けの法則が発動して、悩み、不安が起こるように働くのが、
この世の仕組みなのです。
よく運が悪いとか、
なんでこんな目に・・・とか、病気とか、ケガとか、
一般的に自分にとって都合の悪いことが起こってくる
自分にとって「なんで????」ということが起こってくるのは、
こういった仕掛けの法則が発動しているのです。
こういった法則が分ってきますと、
どんな体調が悪かったとしても、
この仕掛けが発動しないように、生かされていることへの感謝
をして「置く」心と行為が、普段から大切なのだと
意識していくようになります。
ただ人間は、すぐにこのことを忘れてしまって、日々の慌ただしい
生活に埋没していきます。
そして、すぐ横着になり、傲慢になっていきます。
本当に愚かですよね、私を含めて人間って。
だから、
うちの会社の主要メンバーは
こういった自己内省のできる
ほぼ合宿のような修行生活を日々送っているのだと思います。
意思の弱い凡夫だから。
だから昔から日本では、早朝に神社にお参りしたり、
仏教では晨朝勤行の仏参をして、日々の生活の中で感謝を忘れない
行為を、こういった手段として子々孫々継承してきたのです。
実は、この、自身の「いのち」は、
あの世では「純化(素直・謙虚・感謝が深まる)」することができないのです。
「純化(素直・謙虚・感謝が深まる)」が起こるのは、この世だけなのです。
だから私たちは、自分なりのハンディを背負ったり、苦手なことを克服する
ためにこの世にチャレンジしに来るのです。
そして「慈悲心(相手に対して深い慈しみを持つ)」を学んでいくのです。
だから、今苦しくても大丈夫、
自分の可能性に賭けて日々「生かされて生きているんだ」と
感謝が出来れば、ヘロヘロであっても大丈夫。
すべては変わっていきます。
生かされている原点へ感謝をすることで
いつも本当に不思議だなあ・・・と思うのですが
救いの事象が起こってきます。
今日は仕事を早目に切り上げ、
北子安庵のリビングのリクライニングチェアーに
横になりながらそんなことを考えていたら、
いつの間にか二時間も熟睡していました。
そして、目が覚めた。
これが奇跡なんですよね、目が覚めるということが。
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