≪ 「:元気一番!」3/22(木)  ¦ トップページ ¦ 「第65回卒園式」」3/24(土) ≫


「日本橋三越本店と天女像」3/23(金)
日本橋三越本店は、平成28年(2016年)7月、本館が国の重要文化財に
指定されました。

現在の建物は、昭和10年(1935)に完成、ルネッサンス式建築の威容を
誇り、当時は「国会議事堂」「丸ビル」に次ぐ大建築物でした。

本館正面玄関には待ち合わせの場所として親しまれる「三越の守護神」
とも言うべき「ライオン像」がお客様をお迎えし、メイン通路を抜けると、
その豪華絢爛な美しさの、「天女(まごころ)像」がひときわ目をひきそび
え立っています。

この像をいただく中央ホールでは、各種催物やトークショーなどが日々
開催されるイベントスペースとしてお客様に親しまれています。

中央ホールのメイン階段をあがると、美しい音色を奏でる「パイプオルガン」
が設置されています。このパイプオルガンによる生演奏は毎週水・金・土
・日曜の週4回行われ、お客様に喜ばれています。

この中央ホールからパイプオルガンをつなぐメイン階段。重厚感のある
大理石をふんだんに使用しているのですが、じっくり目を凝らしてみてみ
ると、アンモナイトなどの化石がはっきりと確認いただけます。御来店の
際にお楽しみの一つとして化石探しをしてみるのもいかがでしょうか。

このほかにも、本館6階には、歌舞伎・演劇等が催される三越劇場が、
本館屋上には三圍神社などが、百貨店ではめずらしい施設として、多く
のお客様に喜ばれております。(歴史再発見より転載)


日本橋三越本店に行ってまず目に入るのが、このとてつもなく大きい
天女像です。初めて本店を訪れたたときは、この大きさと彫刻の素晴
らしさに度肝を抜かれました。

0001679fc450c41b653314051cabfc2a『三越本店のロビーは6階までの吹き抜けの大空間です。
三越の創業50周年記念事業として、岩佐社長は三越の基本理念を”まごころ”に確認し、
その象徴としてロビーに天女像を飾る事を決めました。
そして、当代最高の仏師「佐藤玄々(京都)」に製作を依頼します。
佐藤は明治21年、福島県相馬郡生まれ、家は代々神社仏閣などの装飾を手掛ける宮彫
り師でありました。(注書きあり)
18歳の春に上京して高村光雲の高弟、山崎朝雲の門下生となり修行します。 34歳の時,
官費留学によりフランスに渡ります。
フランスではロダンの高弟「ブールデル」に師事します。
帰国に際してプールデルにこう諭されたと言われています。
『汝の血を以って、汝が祖国の魂をつくれ』 と。

tennyo01
設立趣意書

tennyo02
協力した匠達の名。(漆・型・鉄骨・施工)

tennyo03
協力した匠達の名。(大工・彩色・きり金・金工)

tennyo04
木彫の助手の名

木彫の助手の名
一般的に観音像と言われていますが、一見してこの像は観音様ではなく、
吉祥天や技芸天の天女像です。
正面台座には「まごころ・天女」と刻まれています。
天女が瑞雲が沸きあがる中、天から地上の花に降りた様でしょう。
光背は無数の雲で構成されています。
頭上には鳳凰が飛んでおり、背中には何故か「鴛/おしどり」が行列しています。
天女は細面で、大きな眼、太い眉毛、目鼻立ちがはっきりした天女像です。
私達が馴染んできた、吉祥天(東大寺二月堂、浄瑠璃寺)はふっくらしたお顔で、
細目で優雅ですが・・・・、
随分違った印象です。
是も、当世風だったのであり、フランス留学の成果だったのでしょう。

tennyo05
浄瑠璃寺 吉祥天像

台座の基壇には協力した匠の名前が刻まれています。
最も多いのが木彫師で、10人余り居るでしょうか。
彫金師、塗り師などの名が続きます。
中には鉄工師の名があります。
天女像の骨格が鉄骨で出来ており、その上に天女の木造が載り、
更に木彫の装飾の鳥など加えたのでしょう。
木彫は色漆で彩色し、宝石を飾り、まさに戦後高度成長期の贅を
尽くして天女像を完成させました。
着工から10年をかけて、昭和35年落慶しました。
当時、車を持っている人は余り居ませんでした。
日本最初のデパートメントストアの前身は「越後屋呉服店」でした。
時代劇では越後屋は悪代官につるんで、悪い商人の代名詞でした。
越後屋のイメージを変えて、庶民に歓迎される・・・、その象徴として
観音像(天女像)は意味があったと思います。
三越には三越劇場があります。
当時は帝劇、三越劇場が人気でした。
お芝居を見る人は、華麗な天女像の前で待ち合わせて、
上階の劇場に向かいました。
美しい舞台が待っています。
天女は技芸天像であります。

tennyo06
光背には鴛が飾っています。
勿論観音像を背後から眺められるよう、装飾したものです。

三越では「日本伝統工芸展」を毎年主催しています。
勿論、この観音像(天女像)を作る際にも沢山の匠の伝統技量があったから、
完成したのでした。
三越の美術部の部門損益は先輩に訊ねた事もありません。
ただ、在職中に運慶の大日如来の海外流失を防いだ実績を含めて、
三越の伝統を評価しなくてはならないと思います。

伊勢丹が時流を先取して、
大駐車場を投資したことは英断だったのでしょう。しかし、
文化産業は時流に乗るだけでは育成できません。
学生時代は俗っぽくて好きになれない観音像(天女像)でしたが、
改めて見詰めてみると・・・、凄いものです。
昭和を記憶する文化財でありましょう。

tennyo07
台座正面には「まごころ・天女」と刻まれています。
三越の基本理念を「まごころ」と確認にしたものでした
”真心をもってお客様や社会に貢献する”テーマは昔も今も変わりません。


「三越本店の天女像の意味するもの」仮想旅へブログより引用』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この日本橋三越本店の本店長が
直接に弊社を訪れて「是非、本店に入ってほしい」と
熱意あるお願いをを受けたのが2007年のことです。
それから半年後の2008年より日本橋三越本店での
ウォータークリー二ング受付業務が始まりました。


それから10年。年々少しずつではありますが口コミで
お客様も増え続け、売り上げも毎年20パーセントずつ
伸び続けて本年より受付を三越委託から、弊社のベテラン
社員を専従者として送り込んで、より「まごころ」ある接客
対応をすることになりました。


伝統・まごころ・品格の日本橋三越本店のとてつもない
エネルギーは私たちをより高みに、より品格ある会社に
導いてくれます。有り難いです。

※今日の午後6時25分羽田発で広島に帰り、明日は保育園の卒園式に
出席して午後3時25分発の広島発で会社に戻ります。

今日、日本橋三越本店についての一端を掲載しましたが、この三越本店
と、全国の伊勢丹の6割を売るという伊勢丹新宿店の専門書を10冊買い
ましたので、もう一度この二店舗の勉強をしっかりしてみようと思っていま
す。そういう気持ちになったのは初めです。伊勢丹新宿店がスタートして
11年。三越本店が10年。次の段階に行く大きな節目がきているような
気がしています。

こういう気持ちになったら、一気に集中していき、内外変化を起こしていきます。

07:55, Friday, Mar 23, 2018 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

■トラックバック

この記事へのトラックバックURL:
/blog6/blog.cgi/20180323075540

■コメント


■コメントを書く

名前:

メールアドレス(任意):
    

URL(任意):

この情報を登録する

内容:

パスワード(任意):

ヒューマンチェック(選択した計算結果を入力):