「愛情力」11/23(木)勤労感謝の日
「愛の反対は無関心である」とは
マザーテレサさんの言葉です。
これは、
人間には愛情力が一番必要なのだと
ストレートに伝えてくれているわけです。
この愛情という力を学ぶために、
育てるために、
持つために、
身に付けるために、
一人ひとりの「いのち」はこの世に生を授けられた
といっても過言ではありません。
愛情力とは
無償の愛であり
慈悲(神仏からの愛情・はたらき)です。
ですから私は昔から、
相手を見ていく時、
地位や学歴や財産や
この世的な役割で評価するのではなく、
その人の愛情力を感じて
その人自身を判断していました。
その人がこの世的にどんなに立派だとか、
偉い人だとか言われていてもです。
ですからどんな環境の中でも、
愛情力や思いやりを出せる人は、
とても素晴らしい人だと、そんな人を見ると
スゴイと思うし、心から尊敬してしまいます。
昨日、
法子さんといさ子さんの
御姉妹のことを書きました。
朝の早い
お二人(三時にはもう起きている)のことですから、
もう目覚めて大笑いしながら二人で今というこの一時を、
十二分に楽しんでらっしゃると思います。
このお二人から
私は学ぶことが実に多い。
いろんな理由理屈はあったとしても、
私の本音は「こういった愛情力の深い人たちから学びたい」
という強い欲求があります。
つまり、
この場には、
法子さんという「智慧」と「愛情力」が実に豊かな人がいて、
その人について実践的に学び身に付けていくことができるので、、
思い切って広島を離れてこの千葉の地で
愉しく頑張ることができているのだと思います。
これが本音ですね。
では、愛情力とは一体何か?
それは、「ほおっておけない」視点であり、
感覚であり、行動力です。
そのことが、
このお二人を見ていたら
とってもよく分かる。
お二人とも実に感性が鋭く、
他者洞察が鋭い。また、はっきりと善悪のものを言い、
中途半端はなく、まるて゛竹を割った性格です。
でも反面、
とっても情が深い。
困っている縁者がいれば、
気になっているし、情は深いけれども、
状に執着することなく、
常に相手の最善を考え行動していきます。
そういう姿は、
傍から見ていて、
いつもスゴイ・・と思います。
つまり、
いつも自分が他者に愛情を与える一方通行をヨシ、
いや、そういったことが自然と身に付いている。
まさしく、良いことをして忘れています。
そのことによって見返りなんて一切期待していません。
一緒にいて、
いつもそういったまるで生きた菩薩の姿を
目の当たりにさせてもらえるので、
大きな刺激になるし、「う~~~ん」という唸りも出るし、
「そういうことかあ・・」と気づきも起こる。
彼女たちは、
決して人前に出て目立というという人たちではなく、
常に裏方に徹して人やその場を千恵る愛情力で生かそう
育もうとしていきます。
それも計らいもまったくなく。
こういった智慧ある愛情力に触れる
刺激や気づきがたまらなく心地良く気持ちいい。
なにより自身の「いのち」が一番歓んでいます。
そして何よりその刺激や気づきを受け
感じて行動していくことによって
日々少しずつではありますが、
私の智慧と愛情力が育まれていってます。
よく私はここのスタッフたちに、
「感じて学べ、感じて行動しろ。法子さんの物まねをしろ」と
言い続けています。
人間は人を生かす「智慧」と「愛情心」を
育むため、今よりももっと身に付けるために
この世に生まれてきたのが目的であると思います。
そのためには、
どうしても「智慧」「愛情力」「思いやり力」
を学べる実践の人がどうしても必要です。
本で読んでも、自分なりの感覚でいくら夢想しても
それはまったく違った独善的なものに
なってしまっているからです。
理屈はいいから
愛情力の深い人たちからのアドバイスを
真受けしていく。そして感じて行動していく。
そうすれば、
人間が生かされている原点に気づきだすのです。
この時に、神という、仏という目に見えない存在の片りんを
なんとなく感じることができるようになります。
そして、自分から出す愛情やモノは、
必ず自分に還って耐えられていると
実感できるようになります。
頑張りましょう。
昨日の品物の中に入っていた
お手紙の中に「安心カレンダー」のことが書かれてありました。
嬉しいですね。
マザーテレサさんの言葉です。
これは、
人間には愛情力が一番必要なのだと
ストレートに伝えてくれているわけです。
この愛情という力を学ぶために、
育てるために、
持つために、
身に付けるために、
一人ひとりの「いのち」はこの世に生を授けられた
といっても過言ではありません。
愛情力とは
無償の愛であり
慈悲(神仏からの愛情・はたらき)です。
ですから私は昔から、
相手を見ていく時、
地位や学歴や財産や
この世的な役割で評価するのではなく、
その人の愛情力を感じて
その人自身を判断していました。
その人がこの世的にどんなに立派だとか、
偉い人だとか言われていてもです。
ですからどんな環境の中でも、
愛情力や思いやりを出せる人は、
とても素晴らしい人だと、そんな人を見ると
スゴイと思うし、心から尊敬してしまいます。
昨日、
法子さんといさ子さんの
御姉妹のことを書きました。
朝の早い
お二人(三時にはもう起きている)のことですから、
もう目覚めて大笑いしながら二人で今というこの一時を、
十二分に楽しんでらっしゃると思います。
このお二人から
私は学ぶことが実に多い。
いろんな理由理屈はあったとしても、
私の本音は「こういった愛情力の深い人たちから学びたい」
という強い欲求があります。
つまり、
この場には、
法子さんという「智慧」と「愛情力」が実に豊かな人がいて、
その人について実践的に学び身に付けていくことができるので、、
思い切って広島を離れてこの千葉の地で
愉しく頑張ることができているのだと思います。
これが本音ですね。
では、愛情力とは一体何か?
それは、「ほおっておけない」視点であり、
感覚であり、行動力です。
そのことが、
このお二人を見ていたら
とってもよく分かる。
お二人とも実に感性が鋭く、
他者洞察が鋭い。また、はっきりと善悪のものを言い、
中途半端はなく、まるて゛竹を割った性格です。
でも反面、
とっても情が深い。
困っている縁者がいれば、
気になっているし、情は深いけれども、
状に執着することなく、
常に相手の最善を考え行動していきます。
そういう姿は、
傍から見ていて、
いつもスゴイ・・と思います。
つまり、
いつも自分が他者に愛情を与える一方通行をヨシ、
いや、そういったことが自然と身に付いている。
まさしく、良いことをして忘れています。
そのことによって見返りなんて一切期待していません。
一緒にいて、
いつもそういったまるで生きた菩薩の姿を
目の当たりにさせてもらえるので、
大きな刺激になるし、「う~~~ん」という唸りも出るし、
「そういうことかあ・・」と気づきも起こる。
彼女たちは、
決して人前に出て目立というという人たちではなく、
常に裏方に徹して人やその場を千恵る愛情力で生かそう
育もうとしていきます。
それも計らいもまったくなく。
こういった智慧ある愛情力に触れる
刺激や気づきがたまらなく心地良く気持ちいい。
なにより自身の「いのち」が一番歓んでいます。
そして何よりその刺激や気づきを受け
感じて行動していくことによって
日々少しずつではありますが、
私の智慧と愛情力が育まれていってます。
よく私はここのスタッフたちに、
「感じて学べ、感じて行動しろ。法子さんの物まねをしろ」と
言い続けています。
人間は人を生かす「智慧」と「愛情心」を
育むため、今よりももっと身に付けるために
この世に生まれてきたのが目的であると思います。
そのためには、
どうしても「智慧」「愛情力」「思いやり力」
を学べる実践の人がどうしても必要です。
本で読んでも、自分なりの感覚でいくら夢想しても
それはまったく違った独善的なものに
なってしまっているからです。
理屈はいいから
愛情力の深い人たちからのアドバイスを
真受けしていく。そして感じて行動していく。
そうすれば、
人間が生かされている原点に気づきだすのです。
この時に、神という、仏という目に見えない存在の片りんを
なんとなく感じることができるようになります。
そして、自分から出す愛情やモノは、
必ず自分に還って耐えられていると
実感できるようになります。
頑張りましょう。
昨日の品物の中に入っていた
お手紙の中に「安心カレンダー」のことが書かれてありました。
嬉しいですね。
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