「恥を知り、心を磨く」11/13(月)
最近、渡部昇一先生の「日本人の道徳心」を
読んでいます。
その中の「道徳12」に、
「大切なのは恥を知り、心を磨くこと」があります。
良心
我らは何か良いことをすると、人に褒められない
でも自分で心嬉しく感じ、また何か悪いことをすると、
人に知れないでも自分で気が咎めます。
これは誰にも良心があるからです。この良心は、
幼少の時にはまだあまり発達していないのですが、
親や先生の教えを受けて次第に、良い事と悪い事
の見分けがはっきりつくようになります。
そうなると、人の指図を受けないでも良い事をせず
にはいれないように感じ、悪い事はすることができな
いように感じます。また、人を怒らせたり、悲しませた
り、失望させるようなことのないように、他に対して、
配慮や心配りをしいていくようになります。ですから、
我らは自分の良心の指図に従わなければなりません。
人が見ていないからといって、疲れて体の調子が悪い
からといって、自分の良心の許さないことをしては、
自分で自分の心を醜くくすることになります。
我らはよく自分を慎んで、天地に恥じない立派な人に
ならなければなりません。≪修身教科書六年生より≫
この「良心」の話は、孟子の「性善説」にも的確な解釈
があります。
人間は善を行うべく生まれてきた生き物ですが、それを
磨かなければ善にならないと述べています。つまり、人
はすべてが善人であるということではなく、善の心があ
ってもそれを磨かなければダメだということなんです。
人間の中心には、心があり、善行をしながらその心を
磨いていくのが人生であり、仕事である。このような発想
を持つ国は日本以外にないのです。
しかし、今の日本は心が中心て゛はなく、知識と理屈が
中心の世の中になってしまいました。戦後の占領政策の
お蔭で。だから頭が勝って心の無い、頭でっかちの人間
が多いのです。その人たちに共通しているのが「我良し」
を良しとするために、「恥ずかしい」という概念がないこと。
本来の日本における道徳観の根底にあるのが、この「恥」
の概念です。つまり羞恥心を大切にし、武士道にあっては
「命懸けて恥ずかしいことをしないということ」に己の命以
上の重きを置いたわけです。
家庭を通して、仕事を通して、人生を通して心を磨く。
心を磨くとは、いかなる状況や場合でも、醜い我良しや言
い訳を勇気を出して捨て、潔く善行を選び取っていくとい
うことです。
そうじゃないと、人は人間にはなれない。
我良しの獣の道を歩むことになる。
獣の道ではなく、人の道を歩んで人間になる
悪を捨て善を取る。勇気と決意で人の道を歩んでいきまし
ょう。
読んでいます。
その中の「道徳12」に、
「大切なのは恥を知り、心を磨くこと」があります。
良心
我らは何か良いことをすると、人に褒められない
でも自分で心嬉しく感じ、また何か悪いことをすると、
人に知れないでも自分で気が咎めます。
これは誰にも良心があるからです。この良心は、
幼少の時にはまだあまり発達していないのですが、
親や先生の教えを受けて次第に、良い事と悪い事
の見分けがはっきりつくようになります。
そうなると、人の指図を受けないでも良い事をせず
にはいれないように感じ、悪い事はすることができな
いように感じます。また、人を怒らせたり、悲しませた
り、失望させるようなことのないように、他に対して、
配慮や心配りをしいていくようになります。ですから、
我らは自分の良心の指図に従わなければなりません。
人が見ていないからといって、疲れて体の調子が悪い
からといって、自分の良心の許さないことをしては、
自分で自分の心を醜くくすることになります。
我らはよく自分を慎んで、天地に恥じない立派な人に
ならなければなりません。≪修身教科書六年生より≫
この「良心」の話は、孟子の「性善説」にも的確な解釈
があります。
人間は善を行うべく生まれてきた生き物ですが、それを
磨かなければ善にならないと述べています。つまり、人
はすべてが善人であるということではなく、善の心があ
ってもそれを磨かなければダメだということなんです。
人間の中心には、心があり、善行をしながらその心を
磨いていくのが人生であり、仕事である。このような発想
を持つ国は日本以外にないのです。
しかし、今の日本は心が中心て゛はなく、知識と理屈が
中心の世の中になってしまいました。戦後の占領政策の
お蔭で。だから頭が勝って心の無い、頭でっかちの人間
が多いのです。その人たちに共通しているのが「我良し」
を良しとするために、「恥ずかしい」という概念がないこと。
本来の日本における道徳観の根底にあるのが、この「恥」
の概念です。つまり羞恥心を大切にし、武士道にあっては
「命懸けて恥ずかしいことをしないということ」に己の命以
上の重きを置いたわけです。
家庭を通して、仕事を通して、人生を通して心を磨く。
心を磨くとは、いかなる状況や場合でも、醜い我良しや言
い訳を勇気を出して捨て、潔く善行を選び取っていくとい
うことです。
そうじゃないと、人は人間にはなれない。
我良しの獣の道を歩むことになる。
獣の道ではなく、人の道を歩んで人間になる
悪を捨て善を取る。勇気と決意で人の道を歩んでいきまし
ょう。
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