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「14日のお盆」8/14(月)
実は、今回は広島に帰っていません。


腰痛が尾を引いていることもあるのですが、
やはりデパートとお付き合いしているということは、
ほぼ盆正月はありませんし、今日もいつもの通り
早朝より会社に出てきましたら、山のように作業進行の
オッケーカルテが送信されてきています。


その中で気になる点があれば、
早々担当者に連絡を取り、事の内容を聞いて
対応策を考えます。


今日でたった2日間のお休みであっても
デパートやショップからはいろんな問い合わせや連絡事項が
メール等に入っています。


「会社は休日ですから」の一言で終わる事もできますが、
あらためて休日の油断の落とし穴みたいなことを感じました。
そして即対応できるシステムの構築を。


また、めだかやグッピー等を本店で飼っていると
どうしても元気かどうか?
気になります。


お寺の方は幸いにお参り体制が整っていますので、
私が抜けたとして問題はありません。


ただ、やはり会社に関しては・・・・0か100かどちらかなので
やはり要の部分は絶対に抜けられせんね。


各お墓参りは、写真に向って遠隔で行いました。
という14日のお盆です。

※ポッキーへ

「み仏は いつわり多き うつし世に まことの光 照らしつつ
 嘆きいたみて 哭きたもう

 み仏は まよいはてなき 吾がために ついのよるべは ここなると
 み手をかかげて 待ちたもう

 み仏は 人のいのちの おくふかく 来たりやどりて 今日もまた、
南無阿弥陀仏と喚びもう 南無阿弥陀仏と喚びたもう」信楽峻麿

人間はなぜ生まれてくるのか?人間は何のために生きるのか?
こういった古来から問われてきたテーマの答えは突き詰める
と一つです。

人間が生きる目的とは、自分のいのちの、心の中に来て宿ら
れている途方もない高次元、大いなるいのちの究極の仏さま
に気づくためです。

人間が生まれる時には、最初から最高の存在の仏さまをいの
ちの中に預かったまま、この現実の雑多な世界に降りて来て、
自身のいのちが様々なチャレンジを通じて冒険しているのです。

人間が自由に動き回り、喜び、悩み、物事を創造することがで
きること。

逆に破壊も殺人も犯せる自由が与えられていますが、いのちの
中に宿って下さっている仏さまは、そういう人間の愚かさを悲し
み、なんとか正常な生き方ができるように常に願われ、様々な手
段や方法で、誠実な生き方に、素直な営みに、己の愚かさに「気
づけよ」「目覚めよ」と働きかけて下さっているのです。

が、そういう大きな慈悲に気づくことなく、不平不満を言い、感謝
も満足もしていません。

私たちは、自分の心に仏さまがおられることに気付けるまで、生
まれ変わりを繰り返し、喜怒哀楽を繰り返してきました。現実の
世界は、本当に虚仮不実の大変な世界ですが、この環境の中で
も周りの刺激や誘惑に惑わされずに、自分の心に来て宿って下
さっている仏さまへと自分の気持ちを向けて素直で誠実な心を取
り戻することが一番大切なことであり、日々の仕事や生活の中で、
仏さまに生かされて生きていることを、その都度その都度感じて感
謝していくこと。

これが人が生まれてくる、そしてこの現実の世界を生きている目的
なのです。

仏さまへ、生かされている事への感謝と共に、怒りや恨みの心は
少しずつ昇華され、人や組織を生かす智慧や、思いやりや、愛情
力を身につけていくことができると、今回生まれてきた目的は達成
され、新たな気持ちよい道が結果的に始まります。

そこに向かって日々、特に仕事を通してチャレンジして頑張ってる
ってことです。特にお前が「うっ」と来るときは、仏さまのことを一番
感じてるんじゃないか?無意識だけど。


08:03, Monday, Aug 14, 2017 ¦ 固定リンク ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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