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「研いで丸くする」1/11(水)
今日の朝、
以下のブログを読みながら、
あらためて「その通りよねえ・・・」とうなずきます。


自分の「いのち」が
そのことをよくよく知っています。

<b>
≪まるぞう備忘録≫より転載

まるく まあるく まんまると
 
私の心は自我があちこち尖っております。これを砥石で
研いで、心を丸くまあるくする過程が、「自我の分離」→
「心の内側への融合」の過程でもあります。

 「楽園に戻る」とは「自分の尖った無数の自我を研い
で丸くする」という意味であります。

 きっと自分の心の内側の神性と融合している魂は、
真円の球体の如くでありましょう。


陰陽の振り子の繰り返し=永遠の輪廻
 
 もし今生で尖った自我が残った場合、それは次の転
生の宿題として持ち越されることとなるのでしょうかね。
そして多くの場合、今度は正反対の境遇として生まれ
ることになるでしょう。

 もし性別や人種や身分で人を差別するような自我を
克服できなかった場合は、今度は逆の立場で、性別や
人種や身分で差別される立場を真我が選ぶでしょう。し、
 もし裕福であるけれど傲慢である自我を克服できな
かった場合は、今度は最下層の貧困の境遇を真我は
選ぶことでしょう。

 もしこの世の中で、厳しい労働環境や家庭環境の理
不尽さを嘆くケースがあった場合、(それが犯罪や暴力
でない限り)本当は自分の真我が最も望んだ環境であ
る。ということであります。

 理不尽な相手の中に自分自身の「鏡の自我」を発見
できた時、ようやく自分のその尖った部分は丸くなった
ことがわかります。良かったです。≪転載終了≫
                 

理不尽な相手の中に自分自身の「鏡の自我」を発見で
きたとき・・・・・。


本当にその通りなのだと思います。
自分が相手の何かに感応する。嫌だと思う。腹が立つ。
ぜ~~んぶ、それらは自分の心の中にある同じ自我が反
応しています。


そんなものが自分の中になかったら、まったく無反応で、
「まあ、いろんな人がいるからなぁぁぁ・・」ぐらいで終わっ
てしまう。烈火のごとく怒るとか、感応してしまうってこと
はそういうことでしょう。


そうすると、自分の中に抱える強い自我が明確にわかっ
てくるわけです。相手の姿を通して。ですから、やはり自
分の中にある自我に気づき、素直に受け入れられたとき、
その自我は成仏というか、昇華していく方向に向かって
いくのだと思います。


そのためにも、
常に反省の視点を持つこと。
「これで良いのか?」と自らを省みること。
こういった謙虚な姿勢を持つことがとっても大切だと感じます。


やはり素直、謙虚、感謝に勝る能力なしです。

07:06, Wednesday, Jan 11, 2017 ¦ 固定リンク ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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