「成長と貢献」11/19(木)
早朝、会社に来て
必ず有線で流すのがNHK第一放送です。
その放送の中で
元東レ研究所所長の佐々木常夫のお話がありましたが、
実践者なのでしょうね、一つの一つの話が
とても胸の中に響くものがありました。
人は何のために生きるか
ツイート 2012年3月 1日 18:11
コメント(0) | トラックバック(0) | 一般
マズローは、
その欲求五段階説で「人は自己実現のために働く」と
規定している。
しかし、
私はそのもう一段上に「人は自分を磨くために働く」
ということがあると考えている。%uE280A8
今よりももっと
難しい仕事にチャレンジしたり
嫌な人ともきちんと付き合うことによって自分を磨いていく。
その結果みんなに愛されたり尊敬されたりして、
自分が幸せになるというのが私の持論だ。
「自分を超える法」
(ピーター・セージ ダイヤモンド社)の内容は
そんな私の考え方に近い。
以下、ピーターの主張である。
人には、安定感(安定したい)、
不安定感(変化が欲しい)、重要感(価値ある存在でありたい)、
愛とつながり(愛されたい)、成長(成長したい)、
貢献(何かに貢献したい)という
6つの基本的な欲求がある。
そしてこの欲求の中で
人生の本当の喜びは「成長」と「貢献」であり、
人は本来、成長し何かに貢献するために生まれてきた。
生命とは
成長そのもので成長しない生命はすべて死ぬ運命にある。
そして
成長するための唯一の方法は
困難に立ち向かったり大きな失敗をすることだ。
安定感、不安定感、重要感、愛とつながりといった
4つのニーズを満たすだけでは自分のためだけの人生を
生きることになりそれは根源的な喜びとはいえない。
本物の重要感を持つ人は
自分勝手な欲を手放し、失敗や試練によって成長しそして
世の中に貢献していく。
力(パワー)というのは
世の中に貢献したいという思いの強さに正比例して与え
られる。と彼はいう。
%uE280A8私は「自分の幸せのために自分を磨く、
つまり成長する」と考えているのだが彼は「成長し貢献」
することが「真の充足感、真の喜び」だという。
ピーターの方に
「知る」と「識る」は違う
昔、私の会社に「3賢人」と呼ばれていた人がいた。
1年間に200冊以上の本を読む人たちで何を聞いても
答えられるいわば「物知り博士」であった。
この3人に共通したことがあった。
それは3人とも仕事ができないというか
やらないということだった。
仕事は知識をもっているだけでは良い結果が出ない。
熱いパッションと実行力がいる。
私は東レ経営研究所で人材育成の仕事で研修などをしていて
開講の挨拶をすることがあるがそのとき「皆さん、このような研修
を受講しても何の役にも立ちませんよ。
ただ皆さんの中で10人に一人か二人、この研修で学んだことを
職場で実践する人がいます。そういう人のために私たちはこの
研修しているのです」ということがある。
私の会社で講演会を開いたりすると話が終わって
「今日は○○さんのいい話を聞いた」と言って帰る人がいる。
その人にとっては単純に「いい話を聞いた」と言うことだが
所詮「いい話を聞いた」いうだけである。
それがどうしたというのだ。
「いい話を聞いた」「いい本を読んだ」「いい映画を観た」など
ただそれだけでそのことを自分の行動に落とし込まない知識を
いくら積み重ねてもなんの役にも立たないと思う。
ある新聞のコラムで私は「多読家に仕事ができる人は少ない」と
書いたことがあるが、その意味はただむやみに本を呼んでも
そのことを自分で考えなくては本物にはならないと考えたからだ。
「知る」は単に「見た」「触れた」というだけで一瞬は頭に入っても
すぐに消えてしまう可能性があるが「識る」は頭に納められ、
培うものである。
自分の生き方、考え方、性格、経験に応じて自分なりにその
知識を吸収していってはじめて本物になっていく
「学びて思わざればすなわち暗し」(論語)
佐々木さんコラムより抜粋転載
人は自分を磨くために働く。
不要な自我を脱ぎ捨てて、本来の素の自分に戻りながらも
あらゆる体験によって「成長し貢献し」
「真の充足感、真の喜び」を得ていく。
まさに限りなく美味しい「いのち」のご馳走を味わっていく。
その一瞬のご馳走を味あうために、
常に弱くて怠惰で傲慢な自分を叱咤激励しながら、
今日も一日がスタートしました。
本物の重要感を持つ人は
自分勝手な欲を手放し、失敗や試練によって成長しそして
世の中に貢献していく。
そうなんですよねえ・・。
だから、ヘナヘナパンチでもいいから、
とにかく仕事手を抜かず、モチベーション上げて頑張ろう!
頑張れ、頑張れ!!って自分を一日応援しながら。
必ず有線で流すのがNHK第一放送です。
その放送の中で
元東レ研究所所長の佐々木常夫のお話がありましたが、
実践者なのでしょうね、一つの一つの話が
とても胸の中に響くものがありました。
人は何のために生きるか
ツイート 2012年3月 1日 18:11
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マズローは、
その欲求五段階説で「人は自己実現のために働く」と
規定している。
しかし、
私はそのもう一段上に「人は自分を磨くために働く」
ということがあると考えている。%uE280A8
今よりももっと
難しい仕事にチャレンジしたり
嫌な人ともきちんと付き合うことによって自分を磨いていく。
その結果みんなに愛されたり尊敬されたりして、
自分が幸せになるというのが私の持論だ。
「自分を超える法」
(ピーター・セージ ダイヤモンド社)の内容は
そんな私の考え方に近い。
以下、ピーターの主張である。
人には、安定感(安定したい)、
不安定感(変化が欲しい)、重要感(価値ある存在でありたい)、
愛とつながり(愛されたい)、成長(成長したい)、
貢献(何かに貢献したい)という
6つの基本的な欲求がある。
そしてこの欲求の中で
人生の本当の喜びは「成長」と「貢献」であり、
人は本来、成長し何かに貢献するために生まれてきた。
生命とは
成長そのもので成長しない生命はすべて死ぬ運命にある。
そして
成長するための唯一の方法は
困難に立ち向かったり大きな失敗をすることだ。
安定感、不安定感、重要感、愛とつながりといった
4つのニーズを満たすだけでは自分のためだけの人生を
生きることになりそれは根源的な喜びとはいえない。
本物の重要感を持つ人は
自分勝手な欲を手放し、失敗や試練によって成長しそして
世の中に貢献していく。
力(パワー)というのは
世の中に貢献したいという思いの強さに正比例して与え
られる。と彼はいう。
%uE280A8私は「自分の幸せのために自分を磨く、
つまり成長する」と考えているのだが彼は「成長し貢献」
することが「真の充足感、真の喜び」だという。
ピーターの方に
「知る」と「識る」は違う
昔、私の会社に「3賢人」と呼ばれていた人がいた。
1年間に200冊以上の本を読む人たちで何を聞いても
答えられるいわば「物知り博士」であった。
この3人に共通したことがあった。
それは3人とも仕事ができないというか
やらないということだった。
仕事は知識をもっているだけでは良い結果が出ない。
熱いパッションと実行力がいる。
私は東レ経営研究所で人材育成の仕事で研修などをしていて
開講の挨拶をすることがあるがそのとき「皆さん、このような研修
を受講しても何の役にも立ちませんよ。
ただ皆さんの中で10人に一人か二人、この研修で学んだことを
職場で実践する人がいます。そういう人のために私たちはこの
研修しているのです」ということがある。
私の会社で講演会を開いたりすると話が終わって
「今日は○○さんのいい話を聞いた」と言って帰る人がいる。
その人にとっては単純に「いい話を聞いた」と言うことだが
所詮「いい話を聞いた」いうだけである。
それがどうしたというのだ。
「いい話を聞いた」「いい本を読んだ」「いい映画を観た」など
ただそれだけでそのことを自分の行動に落とし込まない知識を
いくら積み重ねてもなんの役にも立たないと思う。
ある新聞のコラムで私は「多読家に仕事ができる人は少ない」と
書いたことがあるが、その意味はただむやみに本を呼んでも
そのことを自分で考えなくては本物にはならないと考えたからだ。
「知る」は単に「見た」「触れた」というだけで一瞬は頭に入っても
すぐに消えてしまう可能性があるが「識る」は頭に納められ、
培うものである。
自分の生き方、考え方、性格、経験に応じて自分なりにその
知識を吸収していってはじめて本物になっていく
「学びて思わざればすなわち暗し」(論語)
佐々木さんコラムより抜粋転載
人は自分を磨くために働く。
不要な自我を脱ぎ捨てて、本来の素の自分に戻りながらも
あらゆる体験によって「成長し貢献し」
「真の充足感、真の喜び」を得ていく。
まさに限りなく美味しい「いのち」のご馳走を味わっていく。
その一瞬のご馳走を味あうために、
常に弱くて怠惰で傲慢な自分を叱咤激励しながら、
今日も一日がスタートしました。
本物の重要感を持つ人は
自分勝手な欲を手放し、失敗や試練によって成長しそして
世の中に貢献していく。
そうなんですよねえ・・。
だから、ヘナヘナパンチでもいいから、
とにかく仕事手を抜かず、モチベーション上げて頑張ろう!
頑張れ、頑張れ!!って自分を一日応援しながら。
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