「念仏の道」9/9(水)
お昼過ぎに坊守(妻)から
「浄蓮寺の前住職さんが亡くなられたって、今回し電話があったよ。
今からお悔やみに行ってくるから詳しい内容は帰ってきてからまた
報告するね。」という電話がありました。
皆さんもなんとなくはご存知だと思いますが、
日本全国どのホテルや旅館に泊まりましても引出しの中から仏教
伝道協会の「仏典」が置かれてるのをご覧になったことがあると思
います。ああ、あの・・。そうです、あの太陽が印象深い本です。
その仏教伝道協会の初代会長であり、
あの精密機器で有名なミツトヨの創業者が沼田恵範という方です。
で、この方の出生が実は今回亡くなられた前住職の浄蓮寺という
お寺なのです。
だから、
今回亡くなられた前住職は沼田恵範さんの甥にあたります。
そして
電話を切った一時間後再び坊守から連絡がありました。
「八十五歳たせったそうです。明日、六時のお通夜。明後日、
午前十一時のお葬儀。法中出勤ですからお父さん朝帰って
くるでしょ?」。
「明日は一日、スーツの仮縫いの勉強会とプレスの研修会
があるから明後日の朝一の飛行機で広島へ帰るわ。
今から充法(跡取)には訳を言って、整体院をお通夜の時間
は部下に任せて、お通夜にはおまえと一緒にお悔やみとお
参りに行くように伝えておいて。ええね」。
「わかりました。明後日の朝八時半には空港に迎えに行き
ますから」。
「じゃあ、頼むな」。
「はい」。
浄蓮寺の前住職さんは布教使さんで、
積極的に真宗念仏の教えを伝えていかれた方です。とくに
伝道用の大きな掲示板には前住職さんの大きく力強い個性
的な字で、法語がいつも書かれていました。
その真宗念仏の教えとは、
私たち一人ひとりが、いまここにして阿弥陀如来という仏さま
と出遇い、その仏さまと共に生きていく教えです。この仏さま
は、私たちとは違った遠い世界にいらっしゃるのではなく、
今まさに、この私たちの心、「いのち」の中にまで、届いて来て
下さっている仏さんなのです。
問題は、その真実について、
どう目覚めていくかということです。
そのことに目覚めない限り、私たちはいつまでたってこの仏さま
とはまったく無縁な存在、仏ほっとけでしかないのです。
この阿弥陀如来という仏さまとは
どういう存在かというと、つまり、究極の母性。大きな慈悲の方。
途方もない無償の愛の方と言っていいです。
「いつでも、どこでも、どんな時て゛も、私がいるから大丈夫、安心
して力強く生きていきなさい」と私にストレートに勇気や希望や安
心を与えて下さるとっても大きな私の真実の親といっていいです。
じゃあ、
どうしたらその真実の親、絶対安心の究極の母性と共に生きて
いるのかと目覚めることができるのか?
それが、
日々お仏壇にお参りし、また、仕事や日々の生活の中で、ただ
「なんまんだぶつなんまんだぶつ」とお念仏を称えていく、という
ことなんです。まあ、自己の心の中を深く見ていくわけですよ。
そしてそのような
礼拝(体)と称名(口)と憶念(心)の行為が、毎日の生活習慣行と
して、自然と身についてきますと、やがて必ず、私が称える念仏
は、同時に、仏さまの念仏、私に対する様々な気づきの呼び声
として、私の心の目が次第に目覚めていくのです。
この会社て゛はラジオ体操が終わった午前六時四十五分から、
お昼休憩の午後一時から、そして、仕事が終わった夜の九時か
ら、お経のお勤めをいたします。そして常に自分の良いも悪いも
ストレートに、ありのままに内観して念仏を称えていきます。
それは時として、
「しっかりせえよ、しっかりせえよ」という励ましの声であったり、
「安心しなさい、私か一緒にいる、安心しなさい」という安心の声
であったり、「それでいい、勇気を出して前へ進めばいい」という
勇気と希望の声であったり、「おまえはそれでいいのか?自分を
偽ってはいかんぞ」という厳しい声であったり・・。
つまり、
実は、私が一人て゛頑張ってこの世を生きていると思い込んで
いたのが、私一人で生きているのてせはなく、いつも仏さまとい
う究極の母性のお方と生きていたのた゛ということが、
深く深く思い知らされ、頷かされていくのです。
ですから、
その究極の母性のお方である仏さまと共に生きていくならば、
たとえどんなに厳しい人生であろうとも、その究極の母性のお
方の大きないのちに包まれて、勇気と希望と安心と共に、頑張って
生きていくことがて゛きるようになっていきます。
そして、あのサンマさんではありませんが、
「生きてるだけで丸儲け」と感謝の人生を歩めるようになります。
従って、真宗念仏には「ヘルプミイーブッダ」はありません。
すべて「サンキューブッダ」です。それを「念仏の道」と言います。
実際、
この会社に来てから
のいろんなことがあり過ぎるほどありましたが(進行形)、
常に私の心の土台をしっかりと支えてくれているもの、生きる
バックボーンは、「なんまんだぶつ」、「我仏と共にあり」
という念仏パワーです。
その真宗念仏の教えを
ただひたすら一生伝え続けてこられたのが、
この度お浄土に還られた前住職さんですね。お疲れさまでした。
心よりお念仏申し上げます。
※沖縄の新城くん。福井のポッキー、そして、松さんと小寺さん、
台風の影響があるかどうかは分かりませんが明日は気をつけて
来て下さい。そしてしっかり新たな刺激と気づきを一杯持って帰っ
て下さい。楽しみにしています。
●テーマ「専門家とは、より速くできる人のことである」
「整形仕上技能者(アイロンプレス職人)定例研修会」
講師は黄綬褒章受章の仕立て職人、現代の名工、厚生労働省認
定一級技能士の鈴木誠二先生です。
「浄蓮寺の前住職さんが亡くなられたって、今回し電話があったよ。
今からお悔やみに行ってくるから詳しい内容は帰ってきてからまた
報告するね。」という電話がありました。
皆さんもなんとなくはご存知だと思いますが、
日本全国どのホテルや旅館に泊まりましても引出しの中から仏教
伝道協会の「仏典」が置かれてるのをご覧になったことがあると思
います。ああ、あの・・。そうです、あの太陽が印象深い本です。
その仏教伝道協会の初代会長であり、
あの精密機器で有名なミツトヨの創業者が沼田恵範という方です。
で、この方の出生が実は今回亡くなられた前住職の浄蓮寺という
お寺なのです。
だから、
今回亡くなられた前住職は沼田恵範さんの甥にあたります。
そして
電話を切った一時間後再び坊守から連絡がありました。
「八十五歳たせったそうです。明日、六時のお通夜。明後日、
午前十一時のお葬儀。法中出勤ですからお父さん朝帰って
くるでしょ?」。
「明日は一日、スーツの仮縫いの勉強会とプレスの研修会
があるから明後日の朝一の飛行機で広島へ帰るわ。
今から充法(跡取)には訳を言って、整体院をお通夜の時間
は部下に任せて、お通夜にはおまえと一緒にお悔やみとお
参りに行くように伝えておいて。ええね」。
「わかりました。明後日の朝八時半には空港に迎えに行き
ますから」。
「じゃあ、頼むな」。
「はい」。
浄蓮寺の前住職さんは布教使さんで、
積極的に真宗念仏の教えを伝えていかれた方です。とくに
伝道用の大きな掲示板には前住職さんの大きく力強い個性
的な字で、法語がいつも書かれていました。
その真宗念仏の教えとは、
私たち一人ひとりが、いまここにして阿弥陀如来という仏さま
と出遇い、その仏さまと共に生きていく教えです。この仏さま
は、私たちとは違った遠い世界にいらっしゃるのではなく、
今まさに、この私たちの心、「いのち」の中にまで、届いて来て
下さっている仏さんなのです。
問題は、その真実について、
どう目覚めていくかということです。
そのことに目覚めない限り、私たちはいつまでたってこの仏さま
とはまったく無縁な存在、仏ほっとけでしかないのです。
この阿弥陀如来という仏さまとは
どういう存在かというと、つまり、究極の母性。大きな慈悲の方。
途方もない無償の愛の方と言っていいです。
「いつでも、どこでも、どんな時て゛も、私がいるから大丈夫、安心
して力強く生きていきなさい」と私にストレートに勇気や希望や安
心を与えて下さるとっても大きな私の真実の親といっていいです。
じゃあ、
どうしたらその真実の親、絶対安心の究極の母性と共に生きて
いるのかと目覚めることができるのか?
それが、
日々お仏壇にお参りし、また、仕事や日々の生活の中で、ただ
「なんまんだぶつなんまんだぶつ」とお念仏を称えていく、という
ことなんです。まあ、自己の心の中を深く見ていくわけですよ。
そしてそのような
礼拝(体)と称名(口)と憶念(心)の行為が、毎日の生活習慣行と
して、自然と身についてきますと、やがて必ず、私が称える念仏
は、同時に、仏さまの念仏、私に対する様々な気づきの呼び声
として、私の心の目が次第に目覚めていくのです。
この会社て゛はラジオ体操が終わった午前六時四十五分から、
お昼休憩の午後一時から、そして、仕事が終わった夜の九時か
ら、お経のお勤めをいたします。そして常に自分の良いも悪いも
ストレートに、ありのままに内観して念仏を称えていきます。
それは時として、
「しっかりせえよ、しっかりせえよ」という励ましの声であったり、
「安心しなさい、私か一緒にいる、安心しなさい」という安心の声
であったり、「それでいい、勇気を出して前へ進めばいい」という
勇気と希望の声であったり、「おまえはそれでいいのか?自分を
偽ってはいかんぞ」という厳しい声であったり・・。
つまり、
実は、私が一人て゛頑張ってこの世を生きていると思い込んで
いたのが、私一人で生きているのてせはなく、いつも仏さまとい
う究極の母性のお方と生きていたのた゛ということが、
深く深く思い知らされ、頷かされていくのです。
ですから、
その究極の母性のお方である仏さまと共に生きていくならば、
たとえどんなに厳しい人生であろうとも、その究極の母性のお
方の大きないのちに包まれて、勇気と希望と安心と共に、頑張って
生きていくことがて゛きるようになっていきます。
そして、あのサンマさんではありませんが、
「生きてるだけで丸儲け」と感謝の人生を歩めるようになります。
従って、真宗念仏には「ヘルプミイーブッダ」はありません。
すべて「サンキューブッダ」です。それを「念仏の道」と言います。
実際、
この会社に来てから
のいろんなことがあり過ぎるほどありましたが(進行形)、
常に私の心の土台をしっかりと支えてくれているもの、生きる
バックボーンは、「なんまんだぶつ」、「我仏と共にあり」
という念仏パワーです。
その真宗念仏の教えを
ただひたすら一生伝え続けてこられたのが、
この度お浄土に還られた前住職さんですね。お疲れさまでした。
心よりお念仏申し上げます。
※沖縄の新城くん。福井のポッキー、そして、松さんと小寺さん、
台風の影響があるかどうかは分かりませんが明日は気をつけて
来て下さい。そしてしっかり新たな刺激と気づきを一杯持って帰っ
て下さい。楽しみにしています。
●テーマ「専門家とは、より速くできる人のことである」
「整形仕上技能者(アイロンプレス職人)定例研修会」
講師は黄綬褒章受章の仕立て職人、現代の名工、厚生労働省認
定一級技能士の鈴木誠二先生です。
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