「段級審査」8/1(土)
伝統ある日本の武道である空手道。空手道は、「道」の名がつく通り、
ただ強さを求めるだけの攻撃的な武術ではなく、ただ勝敗を決めるだ
けのスポーツではありません。
「空手道」とは、自己を磨き、常に弱い自分に打ち勝ち、段階的な心
技体の強さを身に付けながら、人格形成を目指す「術(すべ)」だから
です。
そして、自分の肉体を日々鍛錬することによって、鍛錬された自分の
肉体を使って自分や自分の愛する人たちの身を守る護身術であり防
衛術でありますこれが空手道の本質です。
自己鍛錬の「術」である空手道は、とにかく基礎体力(瞬発力・持久力
・筋力)・柔軟(リズム・スピード)・基本(バランス・集中力・身心の安定)
を重んじます。
相手を倒すことが究極の目的でなく、「技を極める」ことで自分の精神
を鍛練するのですから、それも当然のことです。
「生涯武道」という言葉があります。目先の勝ち負けや強さだけを追う
のではなく、日々の生活、そして生涯を通じて武道を修練していこうと
いう姿勢です。
例えば「空手道」は「礼に始まり礼に終わる」。これは世阿弥の「一期
一会の心」を持って相手のいのちを尊重し誰に対しても礼儀正しく有
れということです。
また武道には「力なき正義は無力なり。正義なき力は無能なり」という
言葉か゛あります。万が一暴漢が襲って来たとして、「話せば分かる」
という世界は理想ですが、現実的には人間の心に巣食う魔物にはそ
のようなキレイごとは通用しません。その時にこそ、わが身や、わが愛
する人たちを護るために「空手道」をう必要があります。
日々の生活での武道の修練とは、まさに試合を想定してではなく、そ
のような実践戦を想定して行われていくものでなければなりません(そ
の前に体の基礎姿勢・基礎体力を身に付ける必要は有ります)。
また、人間はもともと自己愛が強く、弱く、安きに流されやすい存在です。
そのような弱い自分自身の心の中にある怠惰・増上慢・卑下慢等の弱さ
を、空手道を通じて克服し、古い殻を脱ぎ捨てて新しい自分に脱皮してい
く。まさにこの蛇の皮むぎは一生続きますが、この過去の弱い己に打ち
克つ力を「克己(こっき)力」といいますが、これこそ空手道の精神の最た
るものなのです。
空手道の段級審査とは、まさに級位、段位その段階に伴った技術力や
基礎体力も大切な審査基準になりますが、特に段位が上がるほどこの
「克己力」をどれほど日々の鍛錬で身に付けてきたのかが審査されて
いきます。
「強く優しく男の子」「優しく強く女の子」。まさに日々の生活も道場と同
じく修練の場であり、逆に空手道を通して身に付けた強くて優しい心は、
毎日の生活を豊かにしてくれるはずです。
今回の黒帯は全滅でした。特に少年部の三段、準三段の審査をクリア
するということは至難の業です。まさに道場以外の日々の鍛練を問われ
ていくからです。
審査に落ちても、何度も何度もチャレンジすればいいのです。この世に生
まれてきた目的は、各人が持つ心身のハンディを背負いながら、どれだけ
向上しようとチャレンジしたのか?いかに情熱的に生きたのか?他人への
思いやりや優しさを実行できたのか?
自分自身を試すために生まれてきたのです。
生かしていただいて ありがとうございます。
ただ強さを求めるだけの攻撃的な武術ではなく、ただ勝敗を決めるだ
けのスポーツではありません。
「空手道」とは、自己を磨き、常に弱い自分に打ち勝ち、段階的な心
技体の強さを身に付けながら、人格形成を目指す「術(すべ)」だから
です。
そして、自分の肉体を日々鍛錬することによって、鍛錬された自分の
肉体を使って自分や自分の愛する人たちの身を守る護身術であり防
衛術でありますこれが空手道の本質です。
自己鍛錬の「術」である空手道は、とにかく基礎体力(瞬発力・持久力
・筋力)・柔軟(リズム・スピード)・基本(バランス・集中力・身心の安定)
を重んじます。
相手を倒すことが究極の目的でなく、「技を極める」ことで自分の精神
を鍛練するのですから、それも当然のことです。
「生涯武道」という言葉があります。目先の勝ち負けや強さだけを追う
のではなく、日々の生活、そして生涯を通じて武道を修練していこうと
いう姿勢です。
例えば「空手道」は「礼に始まり礼に終わる」。これは世阿弥の「一期
一会の心」を持って相手のいのちを尊重し誰に対しても礼儀正しく有
れということです。
また武道には「力なき正義は無力なり。正義なき力は無能なり」という
言葉か゛あります。万が一暴漢が襲って来たとして、「話せば分かる」
という世界は理想ですが、現実的には人間の心に巣食う魔物にはそ
のようなキレイごとは通用しません。その時にこそ、わが身や、わが愛
する人たちを護るために「空手道」をう必要があります。
日々の生活での武道の修練とは、まさに試合を想定してではなく、そ
のような実践戦を想定して行われていくものでなければなりません(そ
の前に体の基礎姿勢・基礎体力を身に付ける必要は有ります)。
また、人間はもともと自己愛が強く、弱く、安きに流されやすい存在です。
そのような弱い自分自身の心の中にある怠惰・増上慢・卑下慢等の弱さ
を、空手道を通じて克服し、古い殻を脱ぎ捨てて新しい自分に脱皮してい
く。まさにこの蛇の皮むぎは一生続きますが、この過去の弱い己に打ち
克つ力を「克己(こっき)力」といいますが、これこそ空手道の精神の最た
るものなのです。
空手道の段級審査とは、まさに級位、段位その段階に伴った技術力や
基礎体力も大切な審査基準になりますが、特に段位が上がるほどこの
「克己力」をどれほど日々の鍛錬で身に付けてきたのかが審査されて
いきます。
「強く優しく男の子」「優しく強く女の子」。まさに日々の生活も道場と同
じく修練の場であり、逆に空手道を通して身に付けた強くて優しい心は、
毎日の生活を豊かにしてくれるはずです。
今回の黒帯は全滅でした。特に少年部の三段、準三段の審査をクリア
するということは至難の業です。まさに道場以外の日々の鍛練を問われ
ていくからです。
審査に落ちても、何度も何度もチャレンジすればいいのです。この世に生
まれてきた目的は、各人が持つ心身のハンディを背負いながら、どれだけ
向上しようとチャレンジしたのか?いかに情熱的に生きたのか?他人への
思いやりや優しさを実行できたのか?
自分自身を試すために生まれてきたのです。
生かしていただいて ありがとうございます。
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