「プレス歴60年。鉄人、中川」7/12(日)
プレス歴60年中川さんに今日聞いたこと。
私は中学を出て、新宿の大手クリーニング店に住み込み
で入りました。初任給は1500円。今で5万円くらいでしょう
か。当時はプレス修業を5年間以上やって初めて職人とし
て認められました。
職人として認められると一気に給料が上がって1万円(今
で30万)以上もらえましたので、サラリーマンよりはよほど
給料は高かったです。
クリーニングの職人の世界は、料理人の世界と同じで、頑固
で負けず嫌い、我の強い男性社会です。まあ、みんな負けず
で喧嘩っ早かった。アイロンは重い8キロの焼きごて(蒸気の
出ないアイロン)を使ってましたから、女性じゃあ職人はまった
くつとまりません。
職人は自分の腕が命ですから、よくケンカしてはお店を渡り
歩きました。私も焼きごて一つ持ってクリーニング店を渡り歩
いた方です。私はスーツやシャツのプレスが得意だったので、
そこの社長の目の前で、デモンストレーションして腕前を披露
するんです。そうすると「よし、月に1万5000円払うから明日から
来てくれ」となる。自信ありましたから、必ず雇われました。私
みたいなタイプというか、そういう職人が昔は多かったです。
今の職人はみんなサラリーマンのようですかね。
クリーニング店の朝は早く五時起床、工場の掃除、特に毎朝
アイロンはピカピカに磨きます。料理人で言えばアイロンは包
丁と同じなので、先輩たちからは掃除やアイロンの手入れは
厳しく仕込まれました。
そして仕事は朝の8時から昼食はほどどに夜の8時まで、ほぼ
ぶっ通しでプレスしていました。目の前に仕上げたクリーニング
品の量が並んでいくのですが、先輩たちや隣の職人なんかに
は絶対に負けたくない。仲間といってもみんなライバルです。
とにかく仕上げた量によって給料が決まっていくわけですから、
みんな仕事になったら負けずも手伝って必死でした。
だから、仕上げの腕を磨かなければ話にならない。能書きはま
ったく通用しない、腕しか信用されない。とにかく腕のいい人は
社長に対して発言もできるが下手な奴は相手にもされない。
徹底した実力主義でした。当時はプレス機も何も機械のない時
代でしたから、オールハンド。8キロの焼きごてで、美しさとスピ
ードをとにかく競って追求しました。
当時スーツやオーバーなどの重衣料はドライクリーニング専門
店というのがあって、そこにどこのクリーニング店も出していまし
た。まだまだドライ機が高額な時代でしたから。
ナチュラルクリーンはスーツの縫製工場用の各部位の仕上げ
マシーンがたくさんありますが、最終的には平台で蒸気を使わ
ずに霧を吹いて当て布を置いて、しっかりアイロンで叩いてプレ
スを決めていきます。昔はこのアイロンのことを焼きごてと言っ
たのですが、当時と比べても今やっていることもまったく同じで
す。
ドライクリーニングでは蒸気アイロンですから、アイロンを滑ら
しますが(だから女性のプレスが多くなった)、ここではほとんど
当て布を使っての叩きなので男性じゃないとつとまらないです。
レディスプレスをしている奥さんは女性ですが、腕の太さと、
プレスの時の腰の落とし具合を見たら、「おお、この人やるな
っ!!」て腕が分かります。まさに男勝りですよ、ここの奥さんは。
男以上(笑)
ここでもそうですが、当時、仕上げする職人たちは体力や腕
力がないと数をこなせないので、とにかくバーベルを使ったり
してみんな筋トレをよくやっていました。ここでも早朝、ラジオ
体操や筋トレしてますが、そうじゃないと、つとまらないでしょう。
本気でやろうとしたら、この仕事って。
ということでした。なるほどねえ・・・勉強になることがいっぱい
あります。伝わってきたのはやはりハングリーさ。みんなとに
かく昭和の時代を頑張って生きていたって感じ。僕たたちも、
しっかり頑張らないと。ただ、今は職人というよりも技術者とい
感じです。
さて、今日は「天皇の料理番 最終回」です。グッときて、ジン
として、ウッと・・・。
久々にいい番組ですから、今から楽しみにしています。
その前に、社長と中華料理「栄華」に行って。生、グビッと飲ん
で、料理番見るのをスタンバッておきます。
生かしていただいて ありがとうございます。
私は中学を出て、新宿の大手クリーニング店に住み込み
で入りました。初任給は1500円。今で5万円くらいでしょう
か。当時はプレス修業を5年間以上やって初めて職人とし
て認められました。
職人として認められると一気に給料が上がって1万円(今
で30万)以上もらえましたので、サラリーマンよりはよほど
給料は高かったです。
クリーニングの職人の世界は、料理人の世界と同じで、頑固
で負けず嫌い、我の強い男性社会です。まあ、みんな負けず
で喧嘩っ早かった。アイロンは重い8キロの焼きごて(蒸気の
出ないアイロン)を使ってましたから、女性じゃあ職人はまった
くつとまりません。
職人は自分の腕が命ですから、よくケンカしてはお店を渡り
歩きました。私も焼きごて一つ持ってクリーニング店を渡り歩
いた方です。私はスーツやシャツのプレスが得意だったので、
そこの社長の目の前で、デモンストレーションして腕前を披露
するんです。そうすると「よし、月に1万5000円払うから明日から
来てくれ」となる。自信ありましたから、必ず雇われました。私
みたいなタイプというか、そういう職人が昔は多かったです。
今の職人はみんなサラリーマンのようですかね。
クリーニング店の朝は早く五時起床、工場の掃除、特に毎朝
アイロンはピカピカに磨きます。料理人で言えばアイロンは包
丁と同じなので、先輩たちからは掃除やアイロンの手入れは
厳しく仕込まれました。
そして仕事は朝の8時から昼食はほどどに夜の8時まで、ほぼ
ぶっ通しでプレスしていました。目の前に仕上げたクリーニング
品の量が並んでいくのですが、先輩たちや隣の職人なんかに
は絶対に負けたくない。仲間といってもみんなライバルです。
とにかく仕上げた量によって給料が決まっていくわけですから、
みんな仕事になったら負けずも手伝って必死でした。
だから、仕上げの腕を磨かなければ話にならない。能書きはま
ったく通用しない、腕しか信用されない。とにかく腕のいい人は
社長に対して発言もできるが下手な奴は相手にもされない。
徹底した実力主義でした。当時はプレス機も何も機械のない時
代でしたから、オールハンド。8キロの焼きごてで、美しさとスピ
ードをとにかく競って追求しました。
当時スーツやオーバーなどの重衣料はドライクリーニング専門
店というのがあって、そこにどこのクリーニング店も出していまし
た。まだまだドライ機が高額な時代でしたから。
ナチュラルクリーンはスーツの縫製工場用の各部位の仕上げ
マシーンがたくさんありますが、最終的には平台で蒸気を使わ
ずに霧を吹いて当て布を置いて、しっかりアイロンで叩いてプレ
スを決めていきます。昔はこのアイロンのことを焼きごてと言っ
たのですが、当時と比べても今やっていることもまったく同じで
す。
ドライクリーニングでは蒸気アイロンですから、アイロンを滑ら
しますが(だから女性のプレスが多くなった)、ここではほとんど
当て布を使っての叩きなので男性じゃないとつとまらないです。
レディスプレスをしている奥さんは女性ですが、腕の太さと、
プレスの時の腰の落とし具合を見たら、「おお、この人やるな
っ!!」て腕が分かります。まさに男勝りですよ、ここの奥さんは。
男以上(笑)
ここでもそうですが、当時、仕上げする職人たちは体力や腕
力がないと数をこなせないので、とにかくバーベルを使ったり
してみんな筋トレをよくやっていました。ここでも早朝、ラジオ
体操や筋トレしてますが、そうじゃないと、つとまらないでしょう。
本気でやろうとしたら、この仕事って。
ということでした。なるほどねえ・・・勉強になることがいっぱい
あります。伝わってきたのはやはりハングリーさ。みんなとに
かく昭和の時代を頑張って生きていたって感じ。僕たたちも、
しっかり頑張らないと。ただ、今は職人というよりも技術者とい
感じです。
さて、今日は「天皇の料理番 最終回」です。グッときて、ジン
として、ウッと・・・。
久々にいい番組ですから、今から楽しみにしています。
その前に、社長と中華料理「栄華」に行って。生、グビッと飲ん
で、料理番見るのをスタンバッておきます。
生かしていただいて ありがとうございます。
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