「遠く宿縁を慶べ」7/8(水)
<b>遠く 宿縁を慶べ
出典:教行信証「総序」
法話
「宿縁」の「宿」とは、「以前の」「以前からの」といった意味です。
たとえば「宿題」とは、「以前からの課題」という意味ですね。
したがって、「宿縁」とは、今こうしてご本願に出遇うことのでき
た、この時点より以前すべてを含めての仏縁ということです。
み教えをよろこぶ身になれたのには、人それぞれ、さまざまな
理由や事情があったことでしょう。
浄土真宗の家庭に生まれたことで仏法を聴く身になれた人もあ
るでしょうし、あるいは、愛しい人やかけがえのない人との死別
によって、その悲しみ自体はいつまでも変わることはないでしょ
うが、あとから振り返った時、あの人のおかげで仏さまに手を合
わす身になれた、そういうご縁もあるでしょう。
順縁・逆縁どちらもご縁となるのが、仏縁の尊いところです。
私自身を振り返った時も、順縁・逆縁さまざまに思い当たります。
そしてさらには、自分中心の見方しかせずに、理屈ばかり言って
素直に言うことを聞かない私が、今こうして、お念仏のみ教えに
出遇い、ご信心よろこぶ身となれたのは、遠い遠い遙か昔から、
この私に注がれた、阿弥陀さまの尊いお育てのご縁があればこ
そでした。
私たち一人ひとりは、みな性格も違えば、抱えてきた人生も異な
ります。
言われたことを素直に聞く人もいれば、私のように理屈をこねて、
なかなか素直に聞かない人間もいます。そのような、異なった人
たちそれぞれに見合ったオーダーメードのお救いを届けてくださ
るのが、阿弥陀さまのお慈悲のあり方です。
スーツを買う時も、既製服より、オーダーメードの方がぴったり合
います。
この阿弥陀さまのオーダーメードこそが「宿縁」であり、また「選択
本願」でもあります。
阿弥陀さまが「選択」されたからこそ確かなのであって、私たちの
「選択」は素人療法にすぎません。うっかり転んで、肩をしたたか打
った時、肩をグルグル回してみて、これなら大丈夫だろうと思ってい
ても、翌日になっても痛みがおさまらないので病院に行ってみると、
お医者さんから「肩の骨が折れてますよ。肩を回したりしてはいけま
せん」と叱られることになります。
こんな素人療法などではなく、阿弥陀さまの「選択」にまかせること
が大切です。阿弥陀さまの「選択本願」が、私に対してはたらきかけ
てくださったすべての歴史の集積が「宿縁」なのであり、この如来さ
まのお手回しを思えば、ただただ慶ばせていただくばかりです。
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
以前から依頼しておいたうちのお寺の一角に建立する「遠く宿縁
を慶べ」記念碑のデザインが出来上がってきました。他にもいくつ
かありましたが、うちのスタッフたちのほとんどが「これがいい」と
このデザインを選びました。
この記念碑はまさに、このNCという会社、そして共にこの時代を仏
さまを心の軸として、柱として、そして共に、思いっきり本気で生き
抜いた「法友たち」の名前が刻まれる、未来にしっかり残っていく、
かけがえのない記念碑です。記録と言ってもいいかな。
発案は、社長の奥さんののりちゃん。
今日ふと思ったのですが、いつかこの世を去る時「面白かったぁ」「よ
う遊んだぁ」、多分この言葉が心の奥底から出てくるんじゃないかって。
多分、出てくるんでしょう。
(お客様よりご丁寧にいただいたマスカットのお菓子。これマスカット
が一個丸ごと入って実に上品な美味さです。いやぁ・・高価なものを
ありがとうございました、Eさん。)
後悔ないよう、期間限定のこの世を、しっかり、真剣に遊んでいきます。
生かしていただいて ありがとうございます。
出典:教行信証「総序」
法話
「宿縁」の「宿」とは、「以前の」「以前からの」といった意味です。
たとえば「宿題」とは、「以前からの課題」という意味ですね。
したがって、「宿縁」とは、今こうしてご本願に出遇うことのでき
た、この時点より以前すべてを含めての仏縁ということです。
み教えをよろこぶ身になれたのには、人それぞれ、さまざまな
理由や事情があったことでしょう。
浄土真宗の家庭に生まれたことで仏法を聴く身になれた人もあ
るでしょうし、あるいは、愛しい人やかけがえのない人との死別
によって、その悲しみ自体はいつまでも変わることはないでしょ
うが、あとから振り返った時、あの人のおかげで仏さまに手を合
わす身になれた、そういうご縁もあるでしょう。
順縁・逆縁どちらもご縁となるのが、仏縁の尊いところです。
私自身を振り返った時も、順縁・逆縁さまざまに思い当たります。
そしてさらには、自分中心の見方しかせずに、理屈ばかり言って
素直に言うことを聞かない私が、今こうして、お念仏のみ教えに
出遇い、ご信心よろこぶ身となれたのは、遠い遠い遙か昔から、
この私に注がれた、阿弥陀さまの尊いお育てのご縁があればこ
そでした。
私たち一人ひとりは、みな性格も違えば、抱えてきた人生も異な
ります。
言われたことを素直に聞く人もいれば、私のように理屈をこねて、
なかなか素直に聞かない人間もいます。そのような、異なった人
たちそれぞれに見合ったオーダーメードのお救いを届けてくださ
るのが、阿弥陀さまのお慈悲のあり方です。
スーツを買う時も、既製服より、オーダーメードの方がぴったり合
います。
この阿弥陀さまのオーダーメードこそが「宿縁」であり、また「選択
本願」でもあります。
阿弥陀さまが「選択」されたからこそ確かなのであって、私たちの
「選択」は素人療法にすぎません。うっかり転んで、肩をしたたか打
った時、肩をグルグル回してみて、これなら大丈夫だろうと思ってい
ても、翌日になっても痛みがおさまらないので病院に行ってみると、
お医者さんから「肩の骨が折れてますよ。肩を回したりしてはいけま
せん」と叱られることになります。
こんな素人療法などではなく、阿弥陀さまの「選択」にまかせること
が大切です。阿弥陀さまの「選択本願」が、私に対してはたらきかけ
てくださったすべての歴史の集積が「宿縁」なのであり、この如来さ
まのお手回しを思えば、ただただ慶ばせていただくばかりです。
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
以前から依頼しておいたうちのお寺の一角に建立する「遠く宿縁
を慶べ」記念碑のデザインが出来上がってきました。他にもいくつ
かありましたが、うちのスタッフたちのほとんどが「これがいい」と
このデザインを選びました。
この記念碑はまさに、このNCという会社、そして共にこの時代を仏
さまを心の軸として、柱として、そして共に、思いっきり本気で生き
抜いた「法友たち」の名前が刻まれる、未来にしっかり残っていく、
かけがえのない記念碑です。記録と言ってもいいかな。
発案は、社長の奥さんののりちゃん。
今日ふと思ったのですが、いつかこの世を去る時「面白かったぁ」「よ
う遊んだぁ」、多分この言葉が心の奥底から出てくるんじゃないかって。
多分、出てくるんでしょう。
(お客様よりご丁寧にいただいたマスカットのお菓子。これマスカット
が一個丸ごと入って実に上品な美味さです。いやぁ・・高価なものを
ありがとうございました、Eさん。)
後悔ないよう、期間限定のこの世を、しっかり、真剣に遊んでいきます。
生かしていただいて ありがとうございます。
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