「ストレスの意味」5/31(日)
≪おひさまありがとうブログ 着火点≫より転載
ストレスが様々な病気の原因と言われております。癌や成人病など
の原因とも言われています。ストレスによって身体の免疫力が落ち
るから、壊れた数々の細胞の修復が間に合わず、癌などの病気に
なるのだろうと考えられます。
しかし私は「ストレスそのもの」が病気の原因とは思えないのです。
・・・では何が病気の原因となるか。
それは、そのストレスから逃げても逃げても逃げられないという
「恐れ」と、そのストレスを自分に与えた(と自分が思いこんでる)
相手への「恨み」こそが、自分の身体を壊してしまうと思えてなり
ません。自分自身の恐れと恨み(憤慨)の感情が、身体の免疫力
を落としてしまうということです。
逆にストレスとは自分の身体と魂が青く光るための発火点である
と思います。本来は。かつてグルジェフという賢人が、自分自身に
ストレスを積極的に与えることで意識の覚醒を目指したといいます。
その時のストレスとは、
・肉体的に厳しければ厳しいほど良い
・精神的なプレッシャーが大きければ大きいほど良い
とされました。
かつて釈尊が生きていたころのインドではわざわざ世間を捨て、
苦行にいそしむ修行者たちがたくさんいたそうです。しかし現代の
私達はそんなことをする必要はありませんね。この世の中でお金を
稼いで家族を養うだけで十分な苦行であります。
肉体的には朝早く起きなければならない仕事も多いでしょう。立ち
っぱなしの仕事も多いでしょう。休憩もろくにとれず単調な作業が繰
り返される仕事も多いでしょう。
また精神的にはきびしいノルマに追われる仕事も多いでしょう。顧
客からののしられる仕事も多いでしょう。上司や同僚からいじめられ
るような扱いを受ける仕事も多いでしょう。
肉体的に暴力を振るわれるとか、労働法に明らかに違反している
ような場合は警察や公的な機関に相談するべきであると思います
が、そうではない多くの私達の働き場所は、グルジェフのいう意識の
覚醒に最善なストレスが提供される場所であります。
人間の身体はストレスを与えられるとハングリーさが増して更に生
命力が向上するようにできております。生命の危機が逆に生命力
を輝かせる=青く輝くと比喩される状態であります。
もし毎日の労働の中でストレスを感じましたなら、それが自分の身
体にどう圧力をかけているのかを観察する絶好の機会でありす。
冷や汗とは身体のどこから分泌されるのでありましょうか。そのとき
鼓動は変化しているでありましょうか。自分の集中力は上がってお
りますでしょうか。下がっておりますでしょうか。
他人に対する配慮は維持できているでしょうか。失われていいるで
しょうか。自分を支えてきてくれている周囲への感謝は維持できて
いるでしょうか。あるいはどの時点でその余裕がなくなっているでし
ょうか。
などなどストレスに対して自分を観察することによって、そのストレ
スこそが青く生命が輝く着火点であることを知ることができます。
ナンチャッテ。
人生のストレスとは逃げても逃げても逃げ切れることはありませ
ん。恨んでも怒っても消えるものではありません。ストレスは本来
は着火点としての恩寵でありますから。ストレスから逃げようとした
時に、あるいは怒り攻撃しようとした時に、私達は自分の生命力を
落としてしまうのであろうと思います。逆に、逃げないで受け入れな
がら向かい合ったときにこそ、それは自分の生命を青く輝かせる着
火点となるのではないでしょうか。
≪転載終了≫
この内容を読んで、「ああ、その通りだなあ・・・」と。
昨日、工房を出るとき「わしは、永い永い生死流転の中でこれほど働い
たことはないかもしれんとはっきりわかる」とフロントの佐生くんに言った
ら、佐生くんも「私も本当にそう思います」と言ってましたた。いや、僕た
ちだけて゛なくここに集まってきたスタッフたちは内心みんなそう思ってる
でしょう。ほんとうに、我ながら、人ながら、よやってますもの。
「ワーク」と「レイバー」という言葉があります。ワークが「奉仕と喜び」でレ
イバーが「義務感とか責任感」というもの。ワークは「内発的動機付け・
内発的報酬」、レイバーは「外発的動機付け・外発的報酬」。どっちが良
い悪いではありませんが、僕たちの場合はとてもワークが強いです。
(カシミアのストールに梅酒をこぼした)
繁忙期のこの時期、カルテ作成の遅れを出さない為に女性たちは法子さん
を中心に全員4時には集まって頑張ってます。が、楽しそうだ。
僕は昨日夜は三回足がつりました。それぐらい肉体的に負荷がかかって体に
きてるのでしょう。僕だけでなくみんなそうでしょう。だけど、「よしっ!」と気合を
入れて子安庵(社宅)を出てきます。やはり体はしんどいけど楽しいから、日々
変化する、創造する喜びがあるからだと思う。そういうものが発火点となって
「いのち」が輝く。だから、なにか日増しに若返ってるような気がする。これが義
務感や責任感だけじゃあ、ムリでしよう、特に僕のようなわがままな性格は。
楽しいけどそういうハードな環境の中で、「他人に対する配慮は維持できてい
るでしょうか。失われていいるでしょうか。自分を支えてきてくれている周囲への
感謝は維持できているでしょうか。あるいはどの時点でその余裕がなくなっている
でしょうか。」という、やさしさ、親切、思いやりの心を学び実践しているのだと
思います。技術やサービス、そして職場の人間関係で。
ですから、今日のブログは、まさに「その通りだなあ・・」と、とても腑に落ちました。
ということで、さてさて、今日も感謝で頑張ります!
お昼はパン。
夜はカツ丼。
ストレスが様々な病気の原因と言われております。癌や成人病など
の原因とも言われています。ストレスによって身体の免疫力が落ち
るから、壊れた数々の細胞の修復が間に合わず、癌などの病気に
なるのだろうと考えられます。
しかし私は「ストレスそのもの」が病気の原因とは思えないのです。
・・・では何が病気の原因となるか。
それは、そのストレスから逃げても逃げても逃げられないという
「恐れ」と、そのストレスを自分に与えた(と自分が思いこんでる)
相手への「恨み」こそが、自分の身体を壊してしまうと思えてなり
ません。自分自身の恐れと恨み(憤慨)の感情が、身体の免疫力
を落としてしまうということです。
逆にストレスとは自分の身体と魂が青く光るための発火点である
と思います。本来は。かつてグルジェフという賢人が、自分自身に
ストレスを積極的に与えることで意識の覚醒を目指したといいます。
その時のストレスとは、
・肉体的に厳しければ厳しいほど良い
・精神的なプレッシャーが大きければ大きいほど良い
とされました。
かつて釈尊が生きていたころのインドではわざわざ世間を捨て、
苦行にいそしむ修行者たちがたくさんいたそうです。しかし現代の
私達はそんなことをする必要はありませんね。この世の中でお金を
稼いで家族を養うだけで十分な苦行であります。
肉体的には朝早く起きなければならない仕事も多いでしょう。立ち
っぱなしの仕事も多いでしょう。休憩もろくにとれず単調な作業が繰
り返される仕事も多いでしょう。
また精神的にはきびしいノルマに追われる仕事も多いでしょう。顧
客からののしられる仕事も多いでしょう。上司や同僚からいじめられ
るような扱いを受ける仕事も多いでしょう。
肉体的に暴力を振るわれるとか、労働法に明らかに違反している
ような場合は警察や公的な機関に相談するべきであると思います
が、そうではない多くの私達の働き場所は、グルジェフのいう意識の
覚醒に最善なストレスが提供される場所であります。
人間の身体はストレスを与えられるとハングリーさが増して更に生
命力が向上するようにできております。生命の危機が逆に生命力
を輝かせる=青く輝くと比喩される状態であります。
もし毎日の労働の中でストレスを感じましたなら、それが自分の身
体にどう圧力をかけているのかを観察する絶好の機会でありす。
冷や汗とは身体のどこから分泌されるのでありましょうか。そのとき
鼓動は変化しているでありましょうか。自分の集中力は上がってお
りますでしょうか。下がっておりますでしょうか。
他人に対する配慮は維持できているでしょうか。失われていいるで
しょうか。自分を支えてきてくれている周囲への感謝は維持できて
いるでしょうか。あるいはどの時点でその余裕がなくなっているでし
ょうか。
などなどストレスに対して自分を観察することによって、そのストレ
スこそが青く生命が輝く着火点であることを知ることができます。
ナンチャッテ。
人生のストレスとは逃げても逃げても逃げ切れることはありませ
ん。恨んでも怒っても消えるものではありません。ストレスは本来
は着火点としての恩寵でありますから。ストレスから逃げようとした
時に、あるいは怒り攻撃しようとした時に、私達は自分の生命力を
落としてしまうのであろうと思います。逆に、逃げないで受け入れな
がら向かい合ったときにこそ、それは自分の生命を青く輝かせる着
火点となるのではないでしょうか。
≪転載終了≫
この内容を読んで、「ああ、その通りだなあ・・・」と。
昨日、工房を出るとき「わしは、永い永い生死流転の中でこれほど働い
たことはないかもしれんとはっきりわかる」とフロントの佐生くんに言った
ら、佐生くんも「私も本当にそう思います」と言ってましたた。いや、僕た
ちだけて゛なくここに集まってきたスタッフたちは内心みんなそう思ってる
でしょう。ほんとうに、我ながら、人ながら、よやってますもの。
「ワーク」と「レイバー」という言葉があります。ワークが「奉仕と喜び」でレ
イバーが「義務感とか責任感」というもの。ワークは「内発的動機付け・
内発的報酬」、レイバーは「外発的動機付け・外発的報酬」。どっちが良
い悪いではありませんが、僕たちの場合はとてもワークが強いです。
(カシミアのストールに梅酒をこぼした)
繁忙期のこの時期、カルテ作成の遅れを出さない為に女性たちは法子さん
を中心に全員4時には集まって頑張ってます。が、楽しそうだ。
僕は昨日夜は三回足がつりました。それぐらい肉体的に負荷がかかって体に
きてるのでしょう。僕だけでなくみんなそうでしょう。だけど、「よしっ!」と気合を
入れて子安庵(社宅)を出てきます。やはり体はしんどいけど楽しいから、日々
変化する、創造する喜びがあるからだと思う。そういうものが発火点となって
「いのち」が輝く。だから、なにか日増しに若返ってるような気がする。これが義
務感や責任感だけじゃあ、ムリでしよう、特に僕のようなわがままな性格は。
楽しいけどそういうハードな環境の中で、「他人に対する配慮は維持できてい
るでしょうか。失われていいるでしょうか。自分を支えてきてくれている周囲への
感謝は維持できているでしょうか。あるいはどの時点でその余裕がなくなっている
でしょうか。」という、やさしさ、親切、思いやりの心を学び実践しているのだと
思います。技術やサービス、そして職場の人間関係で。
ですから、今日のブログは、まさに「その通りだなあ・・」と、とても腑に落ちました。
ということで、さてさて、今日も感謝で頑張ります!
お昼はパン。
夜はカツ丼。
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てからになりますので