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「有情から有覚へ」5/23(土)
≪信楽峻麿遺稿法話集 人間について≫より抜粋転載

お経の中に
「慚愧あるものを人といい、慚愧なきものは人となさず、名づけて
畜生となす」と説かれています。


自分の行為を省みて、恥ずかしいと思わないものは人間ではない、
畜生だというのです。


もともと仏教とは「有情」、動物としての私が、教えを学ぶことを通し
て、「有覚」、まことの人間になっていくことを目指すものです。


私たちは誰しも縁あって、地獄の底からこの人間の世界に生まれた
ものです。だからみんな心の底には地獄の生命を宿しているのです。


そこで人間らしく生きるためには、自分の歩むべきまことちの道をしっ
かり学ばねばならないのです。


現実のありのままなる私が、理想のあるべき私に向って成っていくこと、
そういう人間成熟の道を教えるのが仏教です。


教えを学ぶとは、あたかも鏡を見るようなものです。鏡を見ながら自分
の姿を正すように、教えを学ぶと自分の欠点、未熟さが知られていきま
す。


そこで私たちは教えを学びつつ、自分を反省し、慚愧しながら生きていく
事が大切です。仏教が「有情」から「有覚」へと教える意味がここにあるわ
けです。

                               転載終了


人間はどんなに偉い人でも、その心の奥底には恐ろしい自己中心の心、
傲慢、卑下慢、我欲を宿していて、それは本能的な犬や猫と何ら変わら
ないということから、人間は「有情」、動物だというわけです。


この本能的な「有情」が日々自分を反省、慚愧、自己抑止することによって、
良心が目覚め、知性、理性、感情、本能のバランスの取れた人間、「有覚」
に成る道を歩んでいくわけです。これが仏道であり、念仏の世界なんですが、
まさに日々ハードな仕事を通して、「有情」から「有覚」へ。


リスクの高い逃げ場のない仕事を通して人間の道を歩めるということは、本
当に効率的な人間に成れる実践道だと思います。が、やはりこれは人に与え
る「よろこび」と生かされる「感謝」の実感がないと豊かさと潤いがなくなって続
かない。


今日も「有情」から「有覚」への道をしっかり、そして楽しみながら歩ませてもら
いました。やっぱり、肉体的にはそろそろしんどいけど。一杯飲んでグッスリ寝
て、明日もまた頑張りましょう!


総合受付は明日もここは一気にやり切るために早朝4時スタートらしい。
僕は・・・・日曜日なので7時ですが・・・。


※今のところ4月から今日まで全体平均で前年比142パーセントです。
休みなく、みんなよく頑張ってると思うよ。またええもん買うてきちゃるけん。
生かしていただいて ありがとうございます。

19:55, Saturday, May 23, 2015 ¦ 固定リンク ¦ コメント(2) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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■コメント

もともと仏教とは「有情」、動物としての私が、教えを学ぶことを通し
て、「有覚」、まことの人間になっていくことを目指すものです。

名前: http://www.daproject.fr ¦ 16:21, Wednesday, Jun 17, 2015 ×


この教え即ち「自分の行為を省みて、恥ずかしいと思わないものは、人間でなく畜生である」には、50%問題があります。
自分の行為が100%人に迷惑を掛けていたり、世の中の成長に帰せぬものばかりでは絶対にありません。
その時でも「恥ずかしい行為」と反省し次からそのようなことはやめなければならないのですか。

名前: すみた  ¦ 16:03, Monday, Sep 05, 2016 ×



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