「自己観照」11/21(金)
自己観照とは自分を客観的に観るということです。
人間って、「多分自分はこういう性質を持ってると思う」
くらいはわかりますが、その程度しかわからないんです。
だけど、そこをあえて自分自身というものを客観的に観て
いって、「おまえここがいかんぞ、ここを直さんといかんぞ」
「そうか、やってみる」と何度も何度も自分でやってみる。
つまり、人から言われるだけではなく、まず自分が自分を
観ることを努力してみる。
自分のことを観れないと、人のことは観れない。自分の
ことを観れない、人の事を観れないところに無知が生まれ、
他を思いやれなくなって自己主張や他者批判ばかりにな
ってしまう。
だからやはり自己観照が必要なんです。
「こんなこじゃあおまえはいかんぞ。そんな偏っとったら、
誰も生かすことができん。もっと客観的になって、自分を
まだまだ低くせんといかんぞ。謙虚にならんといかんぞ。」
と、何度も何度も自分に自分に言うてきかせていく。
人には立派なことを行っても、傲慢さと短気がすぐ持ち
あがるこの自分は、一生これの繰り返しやと思います。
だから、「部下に対して、周りの人に対して、家族に対して、
仕事に対して、社会に対して、これでいいのか?これでい
いののか?」常に、自身を問うていかないといけない。
不完全な凡夫は死ぬまでです。
生かしていただいて ありがとうございます。
人間って、「多分自分はこういう性質を持ってると思う」
くらいはわかりますが、その程度しかわからないんです。
だけど、そこをあえて自分自身というものを客観的に観て
いって、「おまえここがいかんぞ、ここを直さんといかんぞ」
「そうか、やってみる」と何度も何度も自分でやってみる。
つまり、人から言われるだけではなく、まず自分が自分を
観ることを努力してみる。
自分のことを観れないと、人のことは観れない。自分の
ことを観れない、人の事を観れないところに無知が生まれ、
他を思いやれなくなって自己主張や他者批判ばかりにな
ってしまう。
だからやはり自己観照が必要なんです。
「こんなこじゃあおまえはいかんぞ。そんな偏っとったら、
誰も生かすことができん。もっと客観的になって、自分を
まだまだ低くせんといかんぞ。謙虚にならんといかんぞ。」
と、何度も何度も自分に自分に言うてきかせていく。
人には立派なことを行っても、傲慢さと短気がすぐ持ち
あがるこの自分は、一生これの繰り返しやと思います。
だから、「部下に対して、周りの人に対して、家族に対して、
仕事に対して、社会に対して、これでいいのか?これでい
いののか?」常に、自身を問うていかないといけない。
不完全な凡夫は死ぬまでです。
生かしていただいて ありがとうございます。
■トラックバック
この記事へのトラックバックURL:/blog6/blog.cgi/20141121195427