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「仕事は武道と同じ」9/19(木)
僕は高校、大学と空手部でした。
ですから、僕のベースは武道です。



高校は松濤館空手道、大学は剛柔流空手道。



大学時代は試合がありましたが、高校時代の松濤館空手では
試合がなく、基本、基本、基本、そして型と約束組手ばかりの稽古
でした。



一見単純な約束組手では有段者の先輩に
「ウリャ!!}約束組手の追い突き中段を、腰の入った下段払いで
あっという間に、何度宙に舞い上がるほどフッ飛ばされたかわかりません。



突きをする腕の内外、蹴りをする足の内外は内出血だらけで、
「いたぁ・・」とにかくまともにご飯を食べたり歩ける状態じゃあなかったです。



ただし、血気盛んな当時、試合のない空手の稽古の繰り返しに、
いささか不満もありましたが、今となれば、「武道とは敵と戦うので
はなく、己に勝つために自らを鍛えていくためにある」のが武道の
本質で、当時指導して下さっていた石原先生は、その武道の本質を
僕たちに厳しい稽古の中で、体で伝えようとされていたことが
今ではよく分かるのです。



昨日より今日、今日より明日、一センチでも古い自分から脱皮して
成長していこうとするのが武道です。



だから敵と戦うのが武道ではありません。



ましてや人から称賛を受けようとか、敵に勝とか、こんなことは武道
の目的ではないのです。



スポーツには審判がいますが、本来、武道には審判はいません。



武道の世界ではお互いが向き合ったらお互いのオーラで
自分の勝ち負けが自然に分かってしまいます。



世の中の評価とか、誰かに褒めてもらおうとか、
「すごい」と言われるとか、そんな色気を基準に置いたら、
武の道は歩めません。



武道は自分が日々成長するためにやっています。



お寺の住職で一般部・少年部を教えていた某流派の空手の師範
でもあったSさんが、まったく試合のない沖縄の某空手道に魅せられ、
某流派の空手の師範や道場を捨て、白帯に戻って沖縄の某空手道
の型の稽古を反復していると聞きました。



他からの称賛や地位や名誉より、己を磨き深める武の道を選び取った
からです。



彼は数少ない本物の武道家だと思いました。



「仕事の本質」は、実は武道と同じです。



自らを鍛えるためにあります。



だから仕事場は道場です。



礼に始まり礼に終わり、掃除、整理整頓、清潔感を
第一とします。



そして感謝とは、黙々とした努力からしか生まれません。



黙々と努力することは、心と体の安定、集中力とスピード、力の集中、
リズムや極めの力を修練することによって、量とスピードを上げ続けていく
ことなのです。



クオリティーの高さは、自分で決めることてではなく、他人に
決めてもらう事です。評価してもらう事です。



それよりは、量とスピードの追求を努力することなのです。



量とスピードは誰でも目で見たら一目瞭然分かります。



ひたすらスピードと量です。



量をこなすために、スピードを上げて、具体的に行動することが大切です。



プロとアマの違いは、この量とスピードが圧倒的に違うという事です。



この量とスピードを圧倒的に上げていくことが日々の鍛練です。
その鍛錬によって己を磨き深めていけます。



量とスピードに加速をつけていくこと。



技の決めに圧倒的なスピードを日々の修練で身につけていくこと。



だから仕事は武道と同じなのです。



生かしていただいて ありがとございます。

18:58, Friday, Sep 19, 2014 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

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