≪ 『青い時間』  ¦ トップページ ¦ 『この3日間のおひーさま』 ≫


『素』

代表のお寺、長松寺での御法話は、
胸にぐうっと感じるものでした。

親の業。親の子を思う心。

いかなる思い出、喩え話であっても、
その言葉の音とともに、
意味を超越した、感触が伝わってきます。

聴聞しながら、法話されている
あの ちょっといかつい、、(スイマセン・)
代表のことが、かわいくてかわいくて仕方なく見えていたのは、
お話されていたお爺ちゃんのきもちか、
はたまた 大きな宇宙大の親、
阿弥陀の気持ちか、
と、思わされました。

独りひとりに、阿弥陀さんがいらっしゃるというおはなし、
それはまさに、自分の本当の
奥底につながるものを信じ引き受け、
救いも解放も、そこにつながる統べての
私といういのちを、認めてあげる
という、外と内とがひっくり返って包み込まれるような、
すべての対象が包括されるような、
愛を感じたお話でした。

だからこそ、今という相対の世界をワクワク生きれる
そんな気持ちでした。





22:36, Sunday, Jan 17, 2010 ¦ 固定リンク ¦ コメント(0) ¦ コメントを書く ¦ トラックバック(0) ¦ 携帯

■トラックバック

この記事へのトラックバックURL:
/blog13/blog.cgi/20100117223646

■コメント


■コメントを書く

名前:

メールアドレス(任意):
    

URL(任意):

この情報を登録する

内容:

パスワード(任意):

ヒューマンチェック(選択した計算結果を入力):

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23
24
25 26
27 28 29 30 31