「他人から見えない自分の内面を気にすることが出来ることが大切」6/27(日)
そこにいる愚かな人に告ぐ。
右巻きの巻き貝のような髪形の「螺髪」
(らはつ)にしているからと言って、
何を主張しているのか?
動物の革の腰布を着けてどうするの?
修行者の衣をまとっただけで修行者になれるのか?
多くの人は、心の内側に汚物を溜めながら、
外見だけを着飾ろうとします。
これは愚かな人です。
(原始仏典 ダンマパダ26章-394)
小学生に成りますと、
* かっこ良い学習机を買って欲しいと親にだだをこね。
* 机に備え付けられた書棚が空なので、
次は高価な図鑑の全集や参考書集を買って欲しいと親に頼み。
* そして、ピカピカの学習机に座りながら、
ひたすらゲーム機に没頭する。
勉強する万全な形を揃えて安心し、
安心すれば遊びたくなるのが人のサガでしょうか。
このような面が大人にも言える訳です。
大人の場合、子供のように分かりやすくはなく、
心に巨大な汚物を溜めながら外見からは分からないと言えます。
人間は、基本的に自分の弱点・気にしている事を
隠そうとするサガを持つと感じます。
他人の悪口をよく言う人は、
* 自分自身が他人から悪口を言われることを強く恐れる。
常に怒っている人は、
* 自分が怒られることを恐れ、怒られることに弱い。
* 強そうな入れ墨をするような人は、本当は心が弱い。
このように感じます。
老子が言われますように、
「すべては逆に出る」
と陰陽の法則から言えます。
逆に言いますと、
* 今が不安ならば、安心するように成る為の有り難い不安だということ。
* 今が病気ならば、体を健康に戻すための病気・現象だということ。
* 願いが叶わない場合は、もっと良い道が自分には有るからだということ。
このように思うことも人生には大切なのです。
コノ世に叶わないことが多くても、
自分の心に汚物を溜めないように生きたいものです。
人は自分の環境や条件ばかりを気にします。
しかし、そんなことよりも自分の心が「真っ黒」では無いか?
ゴミを溜め込んでいないか?
を自分で「気にすることが出来る人間」であることが
大切だと釈尊は示しています。
だから自分なりで良いです。
自分の外側よりも、自分の内側を気にする人間でありましょう。
柔訳「釈尊の言葉」著:谷川太一より転載
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4:00起床
体重62,5㎏ 129-68-60
5:30~朝のウォーキング 6:00~晨朝勤行(ミィーテング)
ふ~~~~う、相変わらずお釈迦様の言葉は「その通りです」
としか言いようがありません。
この項を実践するためには、客観性が育ってないと、場の
空気が読めたり、マメに他の人へ気配りができたりと、
いつも自分の言動を客観視しているような繊細さがないと、
物凄く難しいと感じます。
なんせ自我は自分びいきで巧みですから。
周りからの事象によって自分の癖の悪さを知らせてくるので
すが、これがまたなかなか分からない。ピンとこない。
だからこうやって毎日お釈迦さんの言葉を聴かんといかんと、
思います。自分の内側をごまかさずに観ていくためには。
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