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4/24(木)「本気で叱れる人は立派です」

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もし、自分の悪い点を指摘してくれて、

それが引き起こす間違いを教えてくれるような賢い人に

出会ったならば、その人との接触を維持しなさい。

それはまるで、

真のお宝が在る場所を教えてくれるような貴重な御方なのです。

そのような御方に縁を持つ限り、善いことがあっても悪い事は

絶対にありません。

(原始仏典 ダンマパダ6章-76番)

 

釈尊が、

「耳の痛いことを自分に言ってくれる人ほど、大切にしなさい」

と言っています。身近な例では、第一に親の存在です。

親は子どもに、小言と指摘と注意をするものです。

結婚するまでの子どもは、それが本当に嫌でうんざりしている

こともあります。

しかし自分が人の親に成りますと、

子どものことが心配で思わず同様に叱っているものです。

自分の親との関係が、同じように我が子に対してもリピート再生

していることが分かります。

そしていつか、叱られた記憶も大切な思い出に変わります。

 

ただここで、親のだらしなさい生活態度や変な発言、不倫などの

醜態を子どもが知っている場合は問題があります。

そのような親から注意を受けましても、子どもは親への反発と

憎しみしか感じないものです。親自身も自分が悪行をしている場合

は、子どものことを叱らなくなってといくものです。

 

だから近年、公衆の面前で自分の子どもが悪さをしていましても、

躾で叱ることが出来ない親が増えています。自分の子どもを叱れない

親には、親自身の悪い問題があると言えます。

 

昭和の親は、自分の子どもも、他人の子どももシッカリと叱ることが

できました。また、先生には親の方から「うちの子が悪いことをしたら

シッカリ叱って下さい」と頼み込んでいました。そんな親を今見ることは

ありません。

 

近年の教育界でも、生徒を「正しく叱る」ことができない教師が増加して

います。教師たちによる薬物や淫行、盗撮やいじめなどのニュースが後を

絶ちません。これでは生徒を叱ることができないのはアタリマエです。

生徒を叱るには、さすがに自分の良心が痛むのでしょう。先生と生徒が

友だち同士のような、ベタベタした関係であることを良しとするような

先生は、まず私生活が怪しいです。

 

 

この章で大切なことは、同じように叱ってくれる他人でも、

その人が「賢者(一本筋を通せる人間)」であることが条件だと釈尊が指

摘しています。「俺も人のことは言えないが・・・」と怒ってくる相手では

ダメなのです。それは、ただの自己都合の強要かも知れません。

他人を叱る、指摘する、一言言わずにおれない・・、これらが怒りからでは

なく、自分の愛情と思いやりと志から起こることが大切です。

 

今は他人にハッキリと注意が言えない自分で有っても、堂々と愛情から

叱ることが出来る腹の坐った人間を目指しましょう。

この歳になっても、私には本気で叱って下さる御方がいるということは本当に

幸せ者です。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載

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日本人の道徳心

「天が判断する」

「天が見捨てなければ死ぬはずはない。

死ぬのならば、それは不要だと天が判断したのだ」

という覚悟が、意外に人を生かすことはあり得ると、

私は思います。

孔子のように

「自分が文王以来の文明を背負っている」

といっている人であれば、

その覚悟が「自分は死ぬはずがない」という自信、

そしてついには確信といえるほどになっていくのは当然のことでしょう。

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今日の諺 「枝葉末節(しようまっせつ)」

【意味】

あまり主要ではない、本質からはずれた小さなことがら。

「枝葉」とは枝と葉、「末節」は木のはしにある節の部分。

木にとって、太い幹が中心の主要な部分で、

葉や枝、節はあまり大切ではないということ。

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お客様の声

君津本店

●ワイシャツの襟足の黄ばみ落ちますか?

と年配の男性が2点持ってご来店されました。

 

木更津工場

●20年も前のスーツをまだきれいに着られています。

ここのクリーニングのすごいところと言ってくださいました。

 

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