
本当の愚か者とは、
自分が悪いことを行っても、
それの悪い報いが現れない間は、
その悪い行い手は美味しいことだと思っています。
そして、その罪の悪い報いが自分に現われた時に初めて気づき、
苦悩をするのが本当の愚か者なのです。
【原始仏典「ダンマパダ」第五章-六十九番】
人間のサガ(性)とは、
自分はそれが悪いことだと知っていましても、それがバレない間は、
自分が罰を受けない間は、極端な自己正当化をするものです。
とにかく自分は悪くないと独りよがり自己弁護を心中でしながら、
自分の良心を心の奥へと押し込んでいきます。
ここでもまだ救いのある人ならば、自分が罰せられなくても、
バレていなくても、どうしても黙っていることが出来なくなります。
段々と自分の良心が苦しく感じ始めて、自ら申告して公平な判断を
他人にしていただく選択をします。
このような人は、この世で裁きを受け反省するために、死後は問題
はないと感じます。多分。
ただ、自分だけが楽になりたいからと、何でも馬鹿正直にベラベラ
人に言う事でもありません。
周囲への悪影響を考えて、臨機応変な判断と過剰なお喋りは禁物です。
この世の恩恵としては、どんなことにも善行での相殺(別の形での償い)
が起こる唯一の世界が、この人間の世界なのです。
慌てず、善いことをしては、善いことに執着せずスッキリと忘れていきましょう。
「浄土真宗の生活信条」を毎日拝読していたら、自分の過去の罪ほろぼしにと、
散歩しながら公共の環境のゴミ拾いや掃除をすることがクセになっていました。
次に悪い人は、この項にもあるような人です。
自分が悪事を楽しんでいて、自分に悪いことが起こってから初めて、
自分の悪事の深刻さに気づき悩む人です。自分が楽しくバレないならば、
とことん悪に気づけない根の深い愚か者でもあります。
現代の数多くの人が、まだこの心境のレベルだそうです。
ただ、さらに悪い人は、それでも苦悩もしない反省もしない人だそう
です。
そして、
最悪の愚か者とは、
この世で隠し通したまま罰を受けずに、
「反省も、後悔も、苦悩もせずに」人生を舐め切ったまま終える人です。
要は、あの世に悪業をそのまま持ち越すのが最悪の愚か者です。
あの世に還れば、すべては自分の良心が判断します。
困ったことに、いつも自分と共にすべてを観ていますし、体験して
いますから、ウソもお世辞も誤魔化しもまったく通じません。
理屈や理論や教学ではなく、自分自身の行為・行動でしか説得・納得
させることができない御方が自分の超純粋で偏りのない良心(仏性)です。
この良心(仏性)こそは、死を超越した永遠の存在であり、大宇宙にも通じて
いる存在です。
今日も、自分の良心が願い、納得するような規則正しい生活をしたいものです。
人間だけが、「痛い思いをしなくても」事前に気づける可能性持った唯一の
生き物です。痛い思いをしてから気づくのでは、ワンちゃんと同じレベル
かもしれません。
人間は、想定・想像するだけで、多くの苦難を回避することが可能なのです。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「幸福の定義」
富貴必ずしも幸福ではなく、
貧賤必ずしも不幸ではない、と渋沢栄一はいう。
いかに物質的に豊かであっても、
知識を磨き、徳行を修めることを忘れた人は
幸せとはいえないし、
逆に貧しくても人間は履(ふ)み行うべき道を
実践する人は幸福な人である。
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今日の諺 「当意即妙(とういそくみょう)」
【意味】
すぐにその場に応じた言動をして、
機転をきかせること。
「当意」はその場に応じた対応や工夫をすること。
【由来】
仏教用語の「当位即妙」からきた言葉。
「当位即妙」とは、あらゆるものが、
そのままで真理にかなっていること。
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