「自灯明 法灯明(自分自身を明かりとして、拠り所として生きる)」
最高に悟りに目覚めた仏陀の弟子は、
大きく見れば四段階に分かれ、
さらに細かく見れば、八段階の弟子たちに分かれます。
それぞれのどの弟子も、道を求める善人たちから称賛され、
施しを受けるべき弟子たちです。
真の仏陀につながる弟子たちに、食事など(当時はお金に相当する)
を施したならば、それから受ける幸運の恩恵は絶対です。
これも教団が持つ神秘なる作用です。
この真実の説明によって、幸運をつかんで欲しい。
(原始仏典『スッタニパータ』第二章第一節ー二百二十七番)
これはどう考えても釈尊の御言葉ではないと確信します。
後世の弟子と、教団による加筆だと解釈します。
釈尊がもっとも忌み嫌うべき内容が、あえてここに書かれています。
釈尊こそは、王室の王子として生まれ、この世の最高の贅沢を体験した上で
民衆の犠牲による繫栄とその暮らしに、最も嫌悪感と罪悪感を感じて、苦しんだ
御方です。このような内容を言うわけは無いのです。
後世に、因果応報を見せるために、あえて原始仏典に残されたのだと解釈します。
仏教は、一人ひとりが集団に成らずに、自分の家庭の中で求道する姿こそが、
真の仏教であり、釈尊の教えと悟りの真髄です。家庭生活の中での悟りが、
本来の目的です。
これが集団(教団)になったために、資金を集める必要が生じます。
この最初の一歩で、すでに本末転倒となるという示唆が、原始仏典には様々な比喩
で表現されていながらも、このような項が入ることは、ある意味で本性を出させる
ための「仕かけ」と解釈します。
死に逝かれようとする臨終の釈尊と、最後に会話したのが十大弟子の一人である阿難です。
阿難が、「釈尊の死後に自分たちは、いったい何を拠りどころに生きて行けば良いか?」
と釈尊に聞いた時に、釈尊は、「自灯明、法灯明で生きなさい」と答えました。
*自分自身(内なる仏)を明かりとして、自分自身(内なる仏)を拠りどころとして生きて行
きなさい。
*真理の法だけを、頼りなさい。
*他人を、拠りどころとしてはいけない。
このように示されました。まさに集団(教団)で求めることとは真逆なのです。
自分の家庭を、自分の仕事を、自分の人生を大切にする中で、純粋に真理に心が向かい
真理を素直に生きることが最善なのです。
今日も学ばせていただいて有難うございます。
(柔訳 釈尊の教え 第3巻 原始仏典『スッタニパータ』より抜粋転載)
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日本人の道徳心
「老若を決めるものさし」
新渡戸博士が『修養』を出版したのは
四十九歳のときで、亡くなられたのは七十二歳のときである。
当時は五十歳定年の時代だから、
四十九歳といえばそろそろ老いていく時期なのだが、
博士は『修養』を書いたのち、
まだ二十三年も精力的な活動を続けておられる。
当時の博士にしてみれば、
これからいろいろな仕事をやろうというときで、
まさに人の老若を決めるものさしは年齢だけではない、
これからなすべき仕事があるかないか、
それが多いか少ないかで定めるべきであるという
気持ちであったのだろう。
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今日の諺 「天変地異(てんぺんちい)」
【意味】
地震、台風、洪水など、
自然界に起こる災害や、変わった出来事のこと。
「天変」とは、日食、雷、大雨、大風などの
天に起こる異変、「地異」とは、
地震、洪水、火山の噴火などの地に起こる異変のことをいう。
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