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3/6(木)「懸命に生きれば その生き様は歓喜の姿」

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「地上のものであれ、空中のものであれ、

ここに集うもろもろの生きものに幸あれ。

私が説くことをよく聴け。

(原始仏典『スッタニパータ』第二章第一節ー二百二十二番」

 

どんな存在も、歓喜の中で暮らすべきだと、釈尊は仰っています。

*存在するだけでも、笑える。それでいいのだ!

*どんなに惨めでも、存在するだけで素晴らしいのだ!

*最悪も、最善も、そのすべては絶対的な歓喜なのだ!

 

唐突にこう言われても、この人いったい何?となります。

私たちは、かっこ悪いとか、恥ずかしいとか、落ちたとか、貧乏だとか、

煩悩(自我)で悲しみます。

でも、その中だけに居ずに、入り浸らずに、少しカメラのズームを引いて視点を

拡大して観ましょう。

その人間の喜怒哀楽こそが躍動であり、生命力の現れであり、ほとばしる命の

ダンスなのです。

 

ダメはダメであっても、極端な姿ほど、それは命が躍動している芸術です。

「最高だ!」も良いですが、「最悪だぁぁー」も命の発露なのです。

雑巾を絞るように、この命が絞られます。

 

これらのすべてが、大きな視点(仏さま)から観ますと素晴らしいのです。

ガタガタの下手な粘土細工でも、大いなる母性から観ますと素晴らしいのです。

 

たとえガタガタであっても、一生懸命生きている姿に命が発露しています。

とにかく一生懸命に生きれば、その生き様は歓喜の姿、歓喜の舞なのです。

コノ世で成功することよりも、一生懸命生きたことが絶対に大事なのです。

失敗して惨めなままでも一生懸命に生きたならば、その人の命は成功なのです。

 

一生懸命に生きることが、死後に絶対的な徹喜の世界に入る条件となります。

一生懸命に生きる姿こそが芸術であり、絶対的な歓喜なのです。

この世で成功するだとか、失敗だとか、そういう過ぎ去る「小さなこと」は、

一生懸命に生きる姿の前では吹き飛びます。

大宇宙のいのちの中では関係ありません。すべては大きないのちの中の出来事なのです。

 

今日も、一生懸命に生きてみましょう。

色々と不平不満に思うのでなく、すべてのことに感謝して、「これでいいのだ」と

喜びを持って生きる。それが大宇宙の歓喜の中で暮らしたことになります。

釈尊が悟った真理を、生きたことになります。

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「柔訳 釈尊の教え 第3巻 原始仏典『スッタニパータ』より抜粋転載」

 

日本人の道徳心

「目的を絞る」

個人レベルでも単一の明確な目的をもつことは大事です。

金を儲けたいのか、

事業を大きくしたいのか、

地位が欲しいのか、贅沢がしたいのか、

社会的名誉が欲しいのか、

はっきりしない人が多い。

そういうのは絶対成功しない。

まず、目的は何か一つに絞って

はっきりさせるべきだ。

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今日の諺 「我田引水(がでんいんすい)」

【意味】

まわりの人のことを考えないで、

自分の都合がよいように

言ったり行動したりすること。

「我田」は自分の田んぼ、

「引水」は水を引き入れることで、

自分の田んぼにだけ水を入れるということから。

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