性交渉を断ち、若い女性にも心惹かれず、
驕りと怠りを離れ、束縛から明るく開放されており、
完全に自由でいられる者。
賢者はそういう人物を聖者であると知る。
(原始仏典『スッタニパータ』第一章第十二節ー二百十八番)
「このような禁欲的に自分を律するストイックな話は、耳が痛くて読みた
くない」と思われるかも知れません。
はたして、一人でも多くの悩める人々を救いたいと願われた釈尊の仏教が、
世間から離れた修行者だけを対象とするような内容で良いのか?
そう思いながら、改めてこの項を読みますと、光る箇所がありました。
それは、*心は明るく解放されており、完全に自由でいられる者。
つまり、どんなに厳しい修行生活をしましても、また、人生でも、
・明るく解放された人物であり、完全に自由な心の人。
・このようなストイックな生活でも、楽しむ人、楽しめる人であること。
これが人生において、非常に大切であり、死後の行き先にも影響することを
感じます。
今の社会でも、辛くて厳しい仕事を、それでも明るい表情で楽しそうに
勤務している人もいます。
辛い境遇の人で、それでも明るく、大らかで、「頑張ってるなあ・・」と陰
ながら応援したくなる人もいます。
どうでしょうか?
恵まれた環境にいても、暗い顔で、辛そうに仕事をしてはいないでしょうか?
家族と恵まれた生活しているのにもかかわらず、不平不満ばかり言っていない
でしょうか?
それではその道も開けるとは思えず、他人からも良く見えず、良いことがない
でしょう。
無理は不要ですが、
自分なりに明るく前向きに「心に花、人には愛を」です。そういう家庭や職場
がいいですねぇ、太陽のように明るくて。であれば、必ず、良い縁が生まれて来ますよ。
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日本人の道徳心
「努力の第一歩」
「どうしたらいいだろう」は、
いろいろな面で存在するはずです。
「学問であるレベルまで到達しよう」
「藝事をうまくなろう」「金を儲けたい」
「出世したい」「英語がうまくなりたい」等々、
何だってあてはまる。
そういう目標に対して、
「どうしたらうまくなるか」、
あるいは「どうしたらできるようになるか」
と考えるのは努力の第一歩です。
その第一歩さえもない人は
一生懸命やる気がない人であり、
これは本当にどうしようもない人間です。
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今日の諺 「徹頭徹尾(てっとうてつび)」
【意味】
最初から最後まで、
態度などが一貫して変わらないことをいう。
または、「あくまで、けっして」という意味でも使われる。
「徹」は貫くという意味で、
「頭」から「尾(しっぽ)」まで
貫くということ。
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