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3/1(土)「すべては縁あればこそ」

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容器の上部からの物であれ、中ほどからの物であれ、

底からの物であれ、他人から施された食物で生活し、

施してくれた人を褒めることもなく、

貶めることもない人、賢者はそういう人物を聖者であると知る。

(原始仏典『スッタニパータ』第一章第十二節ー二百十七番)

 

釈尊の指摘では「修行者」として生きる者は、

・自分に提供された物に対して、喜怒哀楽の違いを表すべきで

 はない。

・それが腐った物であろうとも、新鮮な物であろうと、「それが」

 今の自分に与えられた縁である。

・相手への喜怒哀楽を思う前に、それを受けた自分自身の因果を

 思うべきである。

このようにも響いてきます。

 

この項を読みますと、釈尊が亡くなる原因となった、貧しい人が

善意から気づかずに腐った食物を釈尊に提供し、それを釈尊はわ

かっていながら死を覚悟して食べた理由。

この理由がわかる内容が、前記のことなのだと腑に落ちます。

釈尊こそは、最期まで真の修行者だったのです。

 

この項から私たちが学ぶべき点は、

*どんな物でも、自分に対して与えられることは、それが、今の自分自身

 が持つ因果である。

*だから、その中身については、良いことである場合は素直に感謝を表し、

*それが悪いことであっても、黙って受け入れて納得して前を見ること。

以上のような態度が、悪い因果を早く昇華して、自身の運命を改善させる

ことを感じます。

 

今の自分に与えられるモノとは、様々なことです。仕事、職場、結婚相手、

家族、親族、子ども、孫、健康、病気でも、お金に関しても、善とも悪とも

思えることでも、すべては前の世からの縁によるものと受け入れ、受け取って

静観することで宿業を終息させる最短への態度だと感じます。

 

つまり「すべては前の世からの縁によって与えられている」と受け取って

いくことで腹がくくれます。それがあればこそ今の私が存在できているのです

から、与えられた縁に感謝し、あらゆる縁によって生かされている今に感謝

していくと過去は全肯定なのです。

 

皆様の参考になれば幸いです。

 

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日本人の道徳心

「何がしたいのか」

私たちにとって、

一番大きな「生きがい」は何だろうか。

人によってさまざまであろうが、

ただ食うために働き生きていくのではなく、

自分が本当にやりたいことをやり、

真に人間らしい一生を送ることであろう。

 

その意味で、一番大切なのは、

まず〝志を立てる″ということだ。

自分は何をしたいのか。

自分は何になりたいのか。

何をもって自己実現し、

社会に尽くしたいのか。

まず、それを見極めることである。

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今日の諺 「威風堂堂(いふうどうどう)」

【意味】

態度や雰囲気に、

まわりを圧倒するような威厳があって、

立派なようす。

「威風」は威厳のある様子、

「堂堂」は力強くて立派なことで、

「堂堂とした態度」などと同じ意味。

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