「すべては己の為の学びだった」
コノ世に住むすべての人々と存在に対して、
無限に広がるような大きな愛情(慈悲・情け心)を持って接することを、
自分自身の気づきや学びとします。
自分よりも上方の世界に住む人々にも、下方に住む人々に対しても、
いかなる世界に住む人々に対しても、境界線をもうけることをせずに、
対立の心を持つことをしないこと。これを自分の気づきや学びとします。
(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章8節-No.150)
真の本質的な気づきと学びとは、
・ 雑多な欲望渦巻く社会の中で。
・ そういう中でも、どんな嫌な他人にも、愛情の視線を持って接すること。
最初は嫌でも、これを自分自身の気づきや学びとする訳です。
釈尊の視点は、現代にも十分に通用する実践的に役立つ内容であり、
・ 今の自分の環境の中で在っても、「そこに」浄土を実現させる可能性に満ちています。
今の自分の生活環境や仕事場の中で、「自分なりに」楽しみながら頑張って見ましょうか。
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以上は自分のいのちにも体にも、よく効く、よく響く、「本当の」修行と成り得ます。
・ 今の自分の生活環境を、最高の気づきと学びの修行場・道場にすること。
これならば、今から直ぐに自分のための真の気づきと学びの修行を始めることが可能です。
心配な自分の子供も、「本当に良い親修行をさせてくれるものだ」という視点で見直しますと、
これから見る世界が変わって行くものです。
釈尊の視点は、現代にも十分に通用する実践的に役立つ内容であり、
・ 今の自分の環境の中で在っても、「そこに」浄土を実現させる可能性に満ちています。
今の自分の生活の中で、「自分なりに」楽しく頑張って見ましょうか。
「釈尊の教え 第2巻 原始仏典『スッタニパータ』」より抜粋転載
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日本人の道徳心
「順調と逆境①」
「禍福はあざなえる縄のごとし」というように、
常に互いに回転しているものである。
修行を積んだ人は、
「順逆一視し、しかも欣戚(きんせき)
ふたつながら忘るべし」
つまり順も逆も一つに見て、
そして喜びも悲しみも二つながら忘れて、
それらを超越して天を楽しみ、
命に安んじていることができる。
喜びも憂いとなり、
憂いも喜びとなることを知れば、
逆境にあるときにこれを善用するようになれば
大いなる修養の材料となるし、
しかも、それによって順境に到達することができる。
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今日の諺 「栄耀栄華(えいようえいが)」
【意味】
権力やお金があって繁栄し、
とてもぜいたくすること。
「栄耀」は栄えて輝くこと、
「栄華」は華やかに栄えるという意味。
似た言葉を重ねて強調している。
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