「極限の中から永遠を生きること」
もしも、ある代表が、他の国を軍事をもって殺戮して制圧し、
その国の人々を奴隷にするならば、
そういう代表こそは、いやしい最下層の人間である。
(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章7節-No.118)
神仏とは、「生き物」であり、喜怒哀楽の中にこそ神様の実在、歓喜、慈悲、
というエネルギーが躍動されます。
だから、神仏との一体化が生きる人の肉体に訪れますと、
・ 思いっ切り、前向きに。・ 今を楽しみ生きる、笑顔。
・ 不幸な環境の中でも、心は浄土に住む。
という現象が、演技では無くて心から起こります。
神仏の大いなるはたらきには、兵器も叶いません。
戦乱が絶えない人類も、今まで継続したのは、神仏が人類を見ているからです。
今の最中を、とにかく懸命に生きて見ましょう。絶対に良い思い出に成ります。
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古代インドの世界でも、隣国同士の戦争が絶えず、古い国の滅亡と新しい国の誕生が後を絶ちませんでした。
釈尊が生まれた釈迦族の国も、最後は近隣国により滅ぼされています。
どの時代、どんな国の歴史を見ましても、100年間も戦争・紛争の無い国はまず有りません。
他国との戦争が無くても、日本の戦国時代のように内乱が定期的に、どんな国にも発生しています。
少なくとも釈尊が誕生された2500年前から現代まで、戦争・紛争が無い時代が人類にはありません。何ということでしょうか。
(中略)
・ 神様は、「中今に住む」。過去や未来には、真の神様は住まない。
・ 時間の無い世界に生きる、「生き物」が神様。
神様とは、「生き物」であり、喜怒哀楽の中にこそ神様の実在、歓喜、慈悲、というエネルギーが躍動されます。
だから、カンナガラ(内在神との一体感)が生きる人の肉体に訪れますと、
・ 思いっ切り、前向きに。
・ 今を楽しみ生きる、笑顔。
・ 不幸な環境の中でも、心は天国に住む。
という現象が、演技では無くて心から起こります。
天の幸運には、兵器も叶いません。
戦乱が絶えない人類も、今まで継続したのは、天が見ているからです。
今の最中を、懸命に生きて見ましょう。良い思い出に成ります。
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日本人の道徳心
「臆病な理由」
引け目があると人間は臆病になります。
だから、引け目のないような
人間になっていることが重要なのです。
なぜ自分がこんなにびくびくしているのかと考えて、
その理由がわかったら、
それが特に道徳的な理由にもとづく時は、
いち早くそれを除去しなければならない。
多くの人たちが臆病な理由は、
本当は悪いことをしているからだ
という場合もかなり多いのです。
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今日の諺 「感無量(かんむりょう)」
【意味】
言葉で言い表せないぐらい、
とても強く心に感じること。
「感慨無量(かんがいむりょう)」ともいう。
「無量」というのは、
はかることができないほどの量という意味。
はかれないほど大きく感じる気持ちということから。
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