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12/22(日) 「人間としての責任を果たす」

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「人間としての責任を果たす」

大変な農作業をして何とか生活をしている農夫が、
作業小屋において朝食の準備を重労働の前にしていました。
そこに釈尊が托鉢(たくはつ:信仰者の家の前で食事や食糧を希望すること)の為に立ちました。
農夫:「あなたは食事を希望されるが、私は食べる為に大変な農作業を毎日しております。
あなた様も食事が欲しければ、そこに立つ前に、農作業で収穫するまでの苦労をするべきではないでしょうか」
釈尊:「私も日々、農作業をしています。その御蔭で朝食を得ています」
農夫:「え? 私は、あなた様が農作業をしている姿を見たことがありません」
釈尊:「いいえ、私は農作業をしています。その御蔭で朝食を得ています」
あっけに取られた農夫は、改めて釈尊に真剣に聞き直しました。
農夫:「あなた様は、『自分も苦労する農夫だ』と自称されます。
しかし私は、あなた様が言われる『農夫』が何を指すのか分かりません。
では、その農業について教えてください。
あなた様が言う農作業とは農業とは、一体何なのでしょうか?」
(原始仏典 スッタニパータ 第1章4節-No.76)

釈尊は、「代償行為」(違う形での行為)は、

それと同等か、それ以上の苦労と労働をしているから同じなのだと仰っています。

例えば、

「主婦が、一人の子供を立派に育てること」と「男性が、社会で大事業に成功すること」は

代償行為としては実は同じなのです。

それほど子育ても、事業の成功も難しく、失敗もあり、神経をすり減らし、

どちらも20年以上も要する苦労でもあるからです。

誰もが何を持つことも無く、一人裸でこの世を旅立つ現実を見ましても、

「女性の子育て=男性の大事業」は完全に同じだと言えるのです。

人間としての責任を果たしていけば、

「代償行為」は役割が違うだけで完全に同じ働きだと言えます。

 

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日本人の道徳心

「批判的態度」

人間が批判的態度に留まっている間は、

その人がまだまだ真に人生の苦労をしていない

何よりの証拠だと言えます。

もちろんその人が生まれ持った性質にもよること

ですが、とにかく自分はさておいて、人の長短を

とやかく言うのは、まだその心には人間としての

自覚がなく、真に真剣に生きるには至っていない

と言って良いでしょう。

真に意義ある人生を送ろうとするならば、

少なくとも人の一倍半は働いて、しかも報酬は、

足ることを知って、普通の人の二割減ぐらいでも満足

しようという基準を打ち立てることです。

そして行く行くは、その働きを二人前、三人前と伸ば

していって、報酬の方は、いよいよ少なくても我慢

できるような我の薄まった人間に自分を鍛え上げて

いくのです。

 

そうすれば、死に臨んでも、「まあ、あれだけやった

んだから、まずこの辺で満足しよう」という潔い心にも

なろうかと思うのです。

 

 

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