「人間としての責任を果たす」
釈尊は、「代償行為」(違う形での行為)は、
それと同等か、それ以上の苦労と労働をしているから同じなのだと仰っています。
例えば、
「主婦が、一人の子供を立派に育てること」と「男性が、社会で大事業に成功すること」は、
代償行為としては実は同じなのです。
それほど子育ても、事業の成功も難しく、失敗もあり、神経をすり減らし、
どちらも20年以上も要する苦労でもあるからです。
誰もが何を持つことも無く、一人裸でこの世を旅立つ現実を見ましても、
「女性の子育て=男性の大事業」は完全に同じだと言えるのです。
人間としての責任を果たしていけば、
「代償行為」は役割が違うだけで完全に同じ働きだと言えます。
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日本人の道徳心
「批判的態度」
人間が批判的態度に留まっている間は、
その人がまだまだ真に人生の苦労をしていない
何よりの証拠だと言えます。
もちろんその人が生まれ持った性質にもよること
ですが、とにかく自分はさておいて、人の長短を
とやかく言うのは、まだその心には人間としての
自覚がなく、真に真剣に生きるには至っていない
と言って良いでしょう。
真に意義ある人生を送ろうとするならば、
少なくとも人の一倍半は働いて、しかも報酬は、
足ることを知って、普通の人の二割減ぐらいでも満足
しようという基準を打ち立てることです。
そして行く行くは、その働きを二人前、三人前と伸ば
していって、報酬の方は、いよいよ少なくても我慢
できるような我の薄まった人間に自分を鍛え上げて
いくのです。
そうすれば、死に臨んでも、「まあ、あれだけやった
んだから、まずこの辺で満足しよう」という潔い心にも
なろうかと思うのです。