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12/17(火)「何があろうと獅子の如く生きるべし」

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「何があろうと獅子の如く生きるべし」

ライオンならば、どんな悪意の声にも驚かない。
風は、どんな世間の網にも掛からずに素通りします。
泥だらけの中に身を置いても、蓮華の花は、どんな泥水も身に付けない。
人も、このようにあるべきなのです。
どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.71)
* どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
これは会社でも、何かの集団でも孤立した変わり者に成れ、という意味ではありません。
他人とは常識的な態度、協力姿勢、調和、配慮、心の柔らかさである調和を努力します。
問題は、心の中の自身が生きる姿勢、芯の強さのことなのです。
誰もが究極は、最後の時は、自分一人で裸で逝くことを忘れては生けないのです。
これを健康な内から心中で日々に思い出していますと、他人の悪口や、意地悪や、病気や不運でさえも、
「そんなこともあったよね」と、すべてが愛おしい「思い出」に成ることが分かり始めます。
逆に、愛情深い人に成れるのです。これは実践が自分に教え、先行きを導きます。
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人が目指すべき仏陀に成れば、どのような様相の人に成るのか?それが、

 

(1) ライオンのように堂々としていなさい。

 

他人からの悪口や噂話を気にして右往左往、気にして心を病む人が多いです。
もう他人からのどんな「声」にも驚かない自分、という姿を意識しましょう。
人は、自分が意識する人に、今から成れるのです。

 

(2) 社会の中の網に捕らえられては生けません。

 

世間には、色々な網が存在します。金銭・異性・地位・学歴・容姿・・・・。
このような、どんな網にも心が捕まらずに、素通り出来る自分であることが重要なのです。
何事にも捕まらない自分で居ましょう。

 

(3) 泥の中に入っても、心にまで泥を付けては生けない。

 

社会に泥は在るものなのです。これを無くそうとするほうが無理があるかも知れません。
泥を自分だけ避けようとして苦悩はしないことです。
どんなにあがいても、身の回りは泥だらけです。陰謀・悪口・盗み・不倫・不正・・・・。
でも、自分の心だけには泥を付けない決意をしましょう。
そうしますと周囲は泥だらけでありましても、自分は身に泥を付ける行動をしない人に成れるのです。
最初に、心に泥を付けることを思わないことが大事です。自分が悪事をしたいと思わないことが大切なのです。

 

そして、
* どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

 

これは会社でも孤立した変わり者に成れ、という意味ではありません。
他人とは常識的な態度、協力姿勢、調和、を努力します。
問題は、心の中の自身が生きる姿勢、芯の強さのことなのです。

 

誰もが究極は、最後の時は、自分一人で裸で逝くことを忘れては生けないのです。
これを健康な内から心中で日々に思い出していますと、他人の悪口や、意地悪や、病気や不運でさえも、
「そんなこともあったよね」と、すべてが愛おしい「思い出」に成ることが分かり始めます。
逆に、愛情が深い人に成れるのです。
これは実践が自分に教え、先行きを導きます。

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日本人の道徳心

「仕事を趣味に」

いかなる仕事をするときも趣味を持たなくてはいけない、

と渋沢栄一はいう。

この趣味とは、仕事の他に何か楽しみを持つ

という意味ではない。

心の底から自分の仕事を好きになり、

「この仕事はこうしてみたい」

「こうすればこうなるだろう」というように、

理想や欲望を加えていくことをいっている。

つまり、仕事でも勉強でも

楽しむ境地にまで達すれば本物で、

これが趣味の極致なのだ。

仕事であれば、それを楽しむ境地に至れば、

一流の経営者となり得るだろう。

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今日の諺 「試行錯誤(しこうさくご)」

【意味】

何度も試すとき。

新しいことを行うときに、

試してみて失敗して、また試してみて、

ということをくり返して、

成功に近づいていくこと。

「試行(しこう)」はためすこと、

「錯誤(さくご)」はまちがえること。

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