釈尊いわく、「今」に生きるという極点に至る人、
このような人は、何も無い今の時に、歓喜の気持ち、
感動、感謝の気持ちが持てる人だと仰います。
つまり人間は、平凡な生活の中「でも」安心と感謝の
気持ちを持てるように成れば、それは自身のいのちの大きな
気付きであり、悟り、信心の瞬間だと言えます。
(原始仏典 ダンマパダ24章-348番)
しかし、
自身の思考はいつの間にか過去を嘆いてみたり、
未来を憂いたり・・・。
つまり人間は、平凡な今には興味が持てないのです。
結局は自作自演で何かの刺激を求めているのです。
でも一生懸命に今日を生きていますと、
何んでもない休憩でも「ふ~~う」、
楽しいひと時に成ります。
ここに大いなるヒントが在ります。
釈尊いわく、「今」に生きるという極点に至る人、
このような人は、何も無い今の時に、歓喜の気持ち、
感動、感謝の気持ちが持てる人だと仰います。
まるで、真宗の「妙好人」です。
つまり人間は、平凡な生活の中「でも」安心と感謝の
気持ちを持てるように成れば、それはいのちの大きな
気付きであり、悟り、信心の瞬間だと言えます。
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日本人の道徳心
「許す」という行為が良好な人間関係を築く
次郎は野原へ出て文雄の来るのを待って
いました。その間に文雄から借りたボール
を誤って川の中へ落として失くしました。
それで文雄が来た時、そのわけを話して
「ごめんなさい」と詫びました。
文雄は「過ちだから仕方がない」と言って、
次郎を許してやりました。
※「人の過ちを許せ」は、被害者意識の強
い現代人にとっては実践の難しい課題です。
一般的には、このような場合は「ボール
を失くしたのなら、弁償すればいい」とな
る。この一文の主題と成っている「許す」
という行為は、時代に関係なく、非常に
重要な事柄です。「許す」ことで相手は
勿論ですが、何よりも自分自身の心が楽
に成ります。お互いが楽になるということ
は、お互いの良心が喜んでいるということ
です。
良好な人間関係を築いていく上で、とても
重要なこの「許す」という行為。
何か問題が起これば、すぐ被害者に成り切
っていく人たちだらけ。そんな現代に生き
る我々がもっとも取り戻さなければいけな
い思いやりの感覚なのです。
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日本人の諺
畳の上の水練(たたみのうえのすいれん)
意味=理屈ややり方を知ってるだけで、
実際にやっていないので、役に立
たないこと。
由来=「水練」は水泳の練習。畳の上で
練習しても、実際の中に入ったら
泳げないことから。
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