つま先で立つ者は長い時間は立てず、
大股で歩く者は遠くまでは歩けません。
自己弁護する者は他人から認めてはもらえませんし、
自画自賛する者は他人から評価されることがありません。
自慢する人間ほど本当は功績を持ってはおらず、
どこにいても長続きはしません。
これらの人間の不要な行為を
真理(道)の視点から表現しますと、
「余計な食べ物」「行き過ぎた行為」だと言います。
このような行為をどんな者でも嫌悪しますから、
良心(道)を持って生活する人間には、
そのような人は一人もいません。
要するに、「無理をしても長続きしない」ということです。
長い視点では、マイペースが一番に
効率よく物事を達成することができます。
無理をして地域で一番の進学校に入学できたのはよいが、
中に入って見れば付いてはいけず、
ノイローゼになり退学してしまう。
もし、上から二番目の高校に余裕で入学していれば、
どんな人生だったのでしょうか?
好きな運動に励んで勉強し、大学にも進んだかも知れません。
他人や親を意識して高校を選んだのでしょうか?
自分の意志はあったのでしょうか?
無理をして大金持ちで美男の男性と結婚する。
結婚後は絶えず旦那の浮気を心配し、
旦那の家族からの厳しい視線にもさらされる。
はたして、これが幸福なのでしょうか?
三十年後の奥さんは、どんな顔をしているのでしょうか。
「お金持ちとの結婚=幸福」というのは、
社会や他人を見て"思い込んだ"のでしょうか?
このようなことは、世の中には色んな面で存在します。
人生は百メートル競走ではなく、マラソンなのです。
百メートル競走の成績(コノ世的な短い栄華)が良くても、
三十キロ以降(人生の後半)にリタイアしていては
ゴールができないのです。
しかし多くの人間は、百メートル競走の速さで走る
他人を見て焦ります。自分の遅さを見て心配しています。
結果的には、マイペースの人間が
一番遠方までたどり着くものなのです。
この章では、
⑴自分が目立とうとする者は、誰からも注目されない。
⑵自分の意見を押し付けるような者は、
他人から認められない。
⑶自分の功績を自慢するような者は、
他人から称えられないし、
このような者は長続きしない。
⑷人間は、お腹一杯食べたあとに、
さらに食べたいとは思わないものだ。
だから「余計な食べ物、行き過ぎた行為」のようなことをせずに、
マイペースで自分の道を行きなさい。
と、老子は言っています。
ただ、マイペースの注意点は、
自分にとって少しでも嫌なこと・つらいことがありますと、
自分はマイペースで行くからやめてしまうというのはダメなのです。
これでは自分が成長しませんし、生活も良くなりません。
老子が、他人にアピールするような
「他人を意識した生活」をせずに、
自分を見つめて生きなさいと言っているように響いてきます。
つま先で歩くのも、大股で歩くのも、
他人を意識しているからおこなう無理な姿勢です。
他人を意識していなければ、
人は自然な姿勢で歩くものなのです。
人間は、他人への挑戦ではなく、
自分へのチャレンジをしていくことが
短い人生において大切です。
そして、自分が歩いた跡が道となり、
その道が続く方向(流れ・未来)が
自分自身を最善の幸福へと導きます。
その道を歩き切れば、自分にとっての王道となります。
この章は、老子が最も嫌いなタイプの人間の説明でもあります。
原文から、老子がこのようなタイプの人間のことを
人間ではなくて「物」のレベルだと
嫌悪しているのを感じます。
二千五百年も前の社会も、
現代と同じような自慢・スタンドプレー・
他人との競争に染まっていたようです。
自分自身を見つめる生活をしていれば、
このような行為をしません。
今日も、「他人を見ずに」
自分自身を見つめて歩いていきましょう。
「柔訳 老子の言葉」
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お客様の声
君津本店
●「制服を急ぎでやっていただいて
ありがとうございました。」
(40代 女性)
阪急メンズ東京
●ロエベのパーカーのクリーニング
代のお問い合わせがありました。ポ
ケットやフードのひも部分に、レザ
ーがあったりするとのことです。検
討しますとおっしゃられていました
●白いパンツの後ろ部分にボールペ
ンのインク(黒)が付いてしまい、
他のクリーニング店では落とせず、
困っていらっしゃるお客様より、シ
ミ抜き料金や仕上がりに要する期日
等の問合せ(ご来店)がありました。